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◎豊かな社会の姿を内在 かつて奈良・薬師寺の三蔵院落慶法要の場に出くわし、列をなす僧侶の左肩から背中に垂らす、朱色の美しい飾り結びに心を奪われた。それは装具の一つである「修多羅(しゅたら)」なるもので、サンスクリット語のスートラに起源をもち、「経」とも訳されるが、もともとタントラ(横糸)に対して、経たていと糸を意味する。 インドから中国に仏教が伝わり、教団の発展に伴う儀式化から、五世紀には既に「修多羅」が見られたという。水が流れるような経の語りと響きが、かつての人々をして、花を連ねて散らぬようにと、結びの「絵ことば」をつくらせたのであり、儀式に際して僧侶の背中を見る信徒の視線は、緩急のダイナミズムをもった結びのフォルムが語る文あやを「読んで、聴いていた」のではないかと思う。 私たちは結びにまつわる豊かな言葉と文化をもっている。注し連め縄なわ、結界、息子(むす≪びひ≫こ)、娘(むす≪びひ≫め)、おむすび、花結び、縁結びなど。霊が産まれると書いて、産むす霊びと読むのは古事記の世界である。しかし、ドイツでもひと結び型のパン「ブレーツェル」は、パン屋さんのマークであり、「結び」を食べるとは、肉体の栄養以上のことがありそうである。 古来、生活のために、結びは数を数えたり、文字や言葉の役目を果たしていた。船の速度単位「ノット」は、等間隔に結び玉をつくったロープを海上に投げて、速度を測った証しである。 しかし、結び目には神の御心が宿ると信じた気持ちが、例えば万葉集に多く残されている。有馬皇子は再びその地に立ち帰ることを願いつつ枝を結び、あるいは妻が防人である夫の衣の紐ひもを結び、旅の無事を祈ったのである。 折口信夫は『産霊の信仰』の中で、「水を掬(むす)ぶ」という表現に注目し、水を掬すくって飲むという行為を、人間の身体と霊魂を結合させる技術としてとらえた。 また、柳田国男は農民史研究の中で、ユヒという慣行に注目し、田植えのユヒ、茅葺(かやぶき)屋根の「ユヒで葺く」など、手ゆ結ひの共同体を、目的に向かう相互扶助として注目していた。軍隊式に指揮統率の下に、人の力を「駒」として利用した手た子この共同体においては、個人の尊厳は失われている。現代における暴力とテロの背景には、この組織形態が見え隠れしている。自由な個人でありながらも、全体と結ばれていると感じることのできるユヒの共同体こそ、未来的で、心豊かな社会の在り方を内在していると私は思う。 建築の世界に生きる私は、住まいづくりは人と人、人とものとを結ぶことと考え、業者まかせにせずに、施主と「ともに」つくることにこそ、デザインの真の価値を求めたい。 「視点」への一年間の私の寄稿は、この「結び」の話をもって結びとしたい。 (上毛新聞 2005年10月23日掲載) |