視点 オピニオン21 |
■raijinトップ ■上毛新聞ニュース |
|
|
◎国語能力を子供たちに 最近の子供たちは表面上は明るく元気だが、トラブルに弱く、創造性がない。自分自身で問題解決ができない。簡単に結論を出したがる。複雑で思考能力を必要とする事柄には近づかない。夢やアイデアを持っているが、周りとのバランスを気にして話さない。自分が何者なのか知りたがらない。だれかが心の内側に入るのを嫌がる。 総じて、昭和時代の子供たちと比べ、生活力の欠如や精神面のひ弱さが指摘される。 そこで、私たちは相手との直接対話を上手にすることをキーワードとして、身体表現のテクニックを教え、その結果、国語力を大幅にアップさせようと活動を開始した。 おおたミュージカル教室では、小中学生が用意した題材をもとにグループに分かれて舞台表現に取り組む。興味深いのは、最初、発言力の強い生徒が自分のプランでけいこの筋道をつくるが、台本を読み込んで動きを入れていくと、徐々に内部調整ができて実際に動けて感情表現のできる子が中心になることだ。 セリフに込められた作者の思いや伏線部分の重要性は、ただ声にしただけでは分かりようもないことに気づく。子供たちは日々新しい発見をしつつ、作品の持つ深みや輝きに魅せられて、発声の意味、動きの意味、ダンスの意味を知る。逆転の発想やメタファーの真実などという難しい説明も、けいこが佳境に入ると染みるように吸収していくようだ。 指導後に「はい」と返事する声が変わってくるので、それと知れるのが面白い。 また高崎市の八幡小学校では、きれいな日本語で心に響き合う会話を重視している。他の小学校同様、クラスごとの詩の群読が盛んであるが、直立不動で大きな声を出すのではなく、詩に込められたメッセージを一人一人の個性と感性で表現させるのが素晴らしい。 まず体を動かすこと。詩の世界の中に自分を置くこと。声に変化をつけること。このような指導に子供たちは敏感に反応する。 悲しいときは悲しく、うれしいときはうれしく、驚くときは本気で驚く。わずかな文字の中に数え切れないほどの表現要素があると知ったときの喜びは、こちらがびっくりするほどストレートで、感動を共有できる瞬間だ。国語力は、話す・読む・書くことで示されるが、血の通わない、心の伴わない能力だけでは、先人たちは喜ぶまい。 十代の作家が次々に誕生している昨今、乾いた視点や、世間とか人生などを突き放した主題は刺激的でこそあれ、ふくいくとした人生に寄与する作風とは思えない。昭和的考え方と笑われるかもしれないが、部屋にこもって間接的コミュニケーションを楽しみつつ、日々を過ごす子供たちを憂う。 バーチャルの世界だけでは人間力が失われることを知らず、生々しい躍動感にあふれた現実の世界を拒否することは不幸なことだ。われわれ大人が身につけた国語能力と、生きる知恵をもっと子供たちに伝えたいと願う。 (上毛新聞 2005年10月12日掲載) |