視点 オピニオン21
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月刊「マイ・リトル・タウン」編集発行人 遠藤 隆也さん(太田市新島町)

【略歴】18歳で上京、Uターン後の76年に「マイ・リトル・タウン」創刊。出版・印刷業やエッセイストとして活動。著書に「面白かんべェ上州弁」などがある。

二大政党の主張


◎手段でなくビジョンを

 選択を丸投げにされた有権者の“悩ましい夏”も、一陣の秋の風とともに終わりを告げた。

 結果はご覧のとおり。自民党の内部分裂に乗じて政権交代を訴えた岡田民主党の惨敗ぶりは、まさに目を覆うばかりである。なぜ、こうまでも、民主党は負けてしまったのか。これってナンナン(どうしてなの)。思わず上州弁的つぶやきが漏れてきてしまうけれど、ここではその理由をあれこれ語るより、もっと大事なこと、選挙ではものの見事に争点から外れていた「国のビジョンをどうつくり上げていくのか」について考えてみたい。

 小泉自民党の主張は実に簡単明めいりょう瞭、次のようなことであった。「郵政民営化をスタートにさまざまな改革を進め、小さな政府をつくり、借金地獄から抜け出してこの国を立て直す」

 これに対し、民主党の主張は改革の本命は郵政ではなく、年金・財政改革が先だとし、郵政改革に関しては少々、主張が分かりづらかった。

 ここで気付かされることが一つ。両党の主張はともに手段であり、ビジョンではない、ということだ。市場経済至上主義、規制緩和、グローバリズム、金融自由化など、すべてがアメリカナイズされ、両党とも、その流れのなかでの「平和」と「繁栄」、これをどうつくっていくのかを競っているわけで、ビジョンとは「チィートばかシ、チガァーなァ」との思いがどうしても残ってしまうのだ。

 アメリカの圧倒的な影響下のもと、さらに「平和」と「繁栄」を模索していくのか。あるいはアジアの中でヨーロッパ的なつながりをつくり上げていくなど、第二、第三の道をめざすのか。

 選挙で問われるのは以上のことにならなければならないはずなのに、自民、民主党とも同じパラダイムの中での競争であり、現代日本社会が直面している諸問題に対して、両党ともに焦点がズレているとしか思えないのだ。

 ひと握りの勝ち組と大多数の負け組に分けられていく今の日本。地方分権という名の地方切り捨て。夢も希望も持てずにニート化していく多くの若者。加速度をつけて進む高齢化と少子化、それに伴う年金制度の崩壊…。アメリカ流に流され続けてきた結果がこれだ。

 こうみてくると、手に入れた「平和」と「繁栄」と引き換えに、失ったモノの重大さにあらためて気付かされる。ある程度の金やモノを手に入れた代わりに、その代償として精神が病み、希望や夢といった生きるエネルギーを枯渇させ、地域共同体のみならず家族の崩壊が進み末期的事象が頻発している。

 今、自然保護運動の現場では昭和三十年ころの自然を取り戻そうとの考えが強まっている。

 高度成長時代の黎れいめい明期。自然のみならず国の在り方もそこまで立ち帰り、来し方行く末をもう一度考えてみることが必要なのでは…。戦い済んで秋風に吹かれつつ、ふと、そんなことを思ってみる。

(上毛新聞 2005年10月2日掲載)