視点 オピニオン21 |
■raijinトップ ■上毛新聞ニュース |
|
|
◎自分の内面を見つめる 竹久夢二の命日の九月一日、私が大会実行委員長を務め、伊香保・榛名を吟行地に毎年「夢二忌俳句大会」を開催しています。全国から夢二ファンや俳句愛好者が集い、夢二をしのびつつ、この地の自然をめでて俳句を詠んでいます。選者の先生方も中央、地元の各流派からお招きしていますが、よい俳句は句会の中で流派など関係なく浮かび上がってくるから不思議です。事前に俳句作品を募集する「夢二俳句大賞」は本年三千三百三十六句を集めることができました。 「山は歩いてこない。やがて私は帰るだらう」榛名山に寄す―。竹久夢二は遠きアメリカの地で枕屏風(びょうぶ)「青山河」を制作し、その裏書きにこの一文を残しました。「青山河」は榛名連山をバックに瞳の悲しげな裸婦が横たわっている、珍しい構図によって描かれた夢二晩年の傑作です。 昭和五年、榛名湖畔にアトリエを築き、そこを拠点として「榛名山美術研究所」の建設を目指した夢二ですが、無理な外遊がたたり、結核を発病。それもかなわぬまま昭和九年九月一日、五十一歳の生涯を閉じました。それほどまでに夢二をとりこにしてしまった榛名の自然。それは夢二が漂泊の末にたどり着いた安らぎの場所だったのかもしれません。 大正ロマンの旗手として美人画や作詞などに才能を発揮した夢二が、叙情あふれる多くの俳句を残していたことは、平成六年発刊の『夢二句集』によって明らかになり、さまざまな反響を呼びました。 庭石にぬれてちる灯や星まつり 夢二 コスモスや人も柱によりかかる 同 その『夢二句集』の編さんがきっかけで「夢二忌俳句大会」が始まり、今年で十三回目を迎えることができました。これは私の俳句歴とほぼ同じで、この大会を運営する中で多くの方々に助けられ、俳句を学んできたと言ってもよいくらいです。 いよいよ大会当日の朝。参加者は約百二十人。抜けるような青空が広がり、句作への期待もおのずと高まります。吟行バスは伊香保温泉から榛名湖畔へ幾つものカーブをつなぎ登りつめます。すると目の前に一直線の道が開け、広々とした湿原が現れ、右手に榛名富士を仰ぎ直進すれば榛名湖。途中の湿原に足を踏み入れると木道が敷かれ、朝露にきらめく美しい花野(秋草の色とりどりに咲き乱れた野)が人々を誘います。毎年ここを訪れるので、夢二の忌日がいつしか「花野忌」と呼ばれるようになりました。 薄紫のかれんな松虫草、黄の夕菅(ゆうすげ)、吾亦紅(われもっこう)に女郎花(おみなえし)などなど、そこに花虻(はなあぶ)や秋の蝶(ちょう)が舞い、時折、虫の声が聞こえます。俳句を通して皆真剣に自然と向き合い、自然と対話する姿はそれだけで感動を呼びます。夢二の魂に見守られつつ、自然をみつめ自然の一部である自分の内面を見つめる時間。俳句と夢二からの贈り物を多くの皆さまと共有できたことに、また今年も感謝するのでした。 花野忌の胸に湧(わ)くうたかみしむる 田中恵子 うれしさは膝(ひざ)より花野ひろがりぬ 長沼冬一 (上毛新聞 2005年10月1日掲載) |