視点 オピニオン21
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グラフィックデザイナー 木暮 溢世さん(片品村東小川)

【略歴】横須賀市出身、多摩美術大卒。制作会社、広告代理店を経て74年独立。航空、食品など大手企業の広告や、オフコースのジャケットなどを手掛けた。

村おこし


◎鍵は一人一人の生き方

 東京赤坂から片品村に引っ越して二年三カ月が過ぎた。知り合いも増えたし、村のこともだいぶ分かってきたつもりだ。

 独断と皮肉を承知で村を人事の面から見ると、大別して二つのタイプに分かれる。「村おこし」「発信」が趣味ともとれる一部の人たちと、他の物言わぬ大勢の人たち。別の角度からいえば、行政にすり寄る人たちと、黙々と働く人たち。面白いことに「村おこし」「発信」を趣味とする人たちと行政にすり寄る人たちは一致し、多くの物言わぬ人たちは黙々と働く。

 私のこれまでの片品での日々を振り返ってみると、少なくとも物言わず黙々と働く人ではなかった。かといって「村おこし」だの「発信」だのと、声を張り上げるでもない。退屈と言えば言える静かな村で楽しいことをしたいと、元オフコースの三人を呼んでライブをやり、津軽三味線の岡田修氏に声をかけて演奏会を開いた。それがきっかけで知り合いも増えたし、村と私のかかわりに変化も生まれた。

 想定した範囲のこともあったし、それをはるかに上回る想定外のこともある。おこがましくも本欄に意見提言を書くことになるなど、想定外の最たるものであるが、「人間万事塞さい翁おうが馬」を実感する片品移住以来の二年三カ月である。しばらくは流れに身をまかせてみようと思っている。

 そもそも、そうした私の今日の現実は、昨日まで私自身がやってきたことのすべての結果なのだ。当然のことながら、順風満帆のときもあったし、出口のない袋小路に迷い込み、抜け出す方法も見つからず、責任を転嫁する先を求めて右往左往するような時期もあった。そのときどきの状況がすべて、それまで私が考え、選び、決め、行動した結果なのだ。

 そして、私にとっての明日からの日々を、明るくするのも暗くするのも、私自身である。いかに悔いのない人生を送るかは、私自身が一日一日をどう生きるかにかかっている。アイデンティティー、自己の存在証明とは、持つべきものではなく、生き抜くべきもの、という思いが強い。

 さて「村おこし」である。私は、本来「村おこし」などというものはないと思っている。一人一人がどう生きるかが、結局は村としてどう生きるかを決めることになる。前段の「私」を「村」なり「村民」に置き換えれば、そのまま村の生き方に当てはまる。行政にすり寄り「村おこし」を趣味とする一部の人たちは考えてみるといい。どんなイベントを企画しようが、一時のにぎやかしにすぎないのだ。黙々と働く多くの物言わぬ人たちにも考えてほしい。黙々と働くことは尊いが、いまの時代「沈黙は金」ではない。むしろ罪なのだ。

 最近、私は何人かの若者と知り合った。尾瀬に魅せられ外からやってきて、片品に住み着いた人たちである。山のガイドをし、尾瀬に荷物を運び、農家の仕事を手伝い、しがみつくようにして暮らしている。彼らは、私がこれまで耳にしたことのなかった言葉で尾瀬片品の魅力を語る。片品の将来の鍵は、新しい価値観で生きる彼らが握っているのかもしれないとも思う。

(上毛新聞 2005年9月16日掲載)