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写真家 小川 知子さん(東京都世田谷区)

【略歴】前橋市出身。玉川大芸術学部卒。石井雅子氏に師事。市川團十郎著「歌舞伎十八番」写真担当、写真集「文楽・吉田玉男」出版。国立劇場宣伝課勤務。

怪談の天才生誕250年


◎南北さん今の世は?

 幼いころ夏の夜に聞いた怪談噺(ばなし)では、音もなく現れるはずの幽霊が、なぜかヒュードロドロドロ…という音を合図に迷い出てきました。このドロドロの由来は、歌舞伎の効果音からきていたのです。ヒューは笛の音、ドロドロは大太鼓。妖怪変化や怨霊(おんりょう)の出現に欠かせないドロドロは、観客の恐怖心をあおる心理効果が抜群です。芝居で鳴り物を演奏するお囃子(はやし)さんは、ドロドロが自在に打てるようになれば一人前の大太鼓打ちと認められるそうです。

 怪談芝居の集大成といわれる『東海道四谷怪談』が初めて上演されたのは文政八(一八二五)年。その時、作者の四世鶴屋南北は七十一歳でした。江戸時代の平均寿命を考えると、実にエネルギッシュな仕事ぶりです。今年は南北生誕二百五十年にあたります。先日、花形舞踊公演で上演された『かさね』も南北の代表的な作品でした。下総国羽生村に住む累(かさね)という娘が、財産を目当てに婿入りした夫の与右衛門に殺され、怨霊となって祟(たた)りを起こし、名僧祐天上人の祈念で解脱する因縁譚(ばなし)をもとに、南北が脚色したものです。

 目黒区の祐天寺には、緑豊かな境内に六世尾上梅幸、十五世市村羽左衛門、五世清元延寿太夫が施主となって大正十五年に建立した「かさね塚」があり、『かさね』を演じる俳優や舞踊家はこの塚に詣でて供養をする習わしがあります。舞踊公演の成功祈願は冥界(めいかい)に届いたようで、かさねを踊った藤間恵都子さん、与右衛門の藤間蘭黄さんの迫真の舞台は大入りになりました。

 また、十月に上演される『貞操花鳥羽恋塚(みさおのはなとばのこいづか)』は、昭和五十五年に百七十一年ぶりに復活された珍しい南北作品です。今回主演の中村富十郎丈、中村梅玉丈、中村時蔵丈が南北の菩提寺である押上の春慶寺(東京都墨田区業平)へ参詣することになり、その打ち合わせでお寺を訪ねました。

 創建以来四百年近い歴史を持つ春慶寺は、現在五階建てのビルで、南北の墓地跡の土を納めたお厨子(ずし)は、地下の自動納骨堂に安置されていました。自動納骨堂のお参りは初体験。カードキーを差し込み、かたずをのんで待っていると、釣り鐘型の小窓が開き、納骨堂の奥から音もなく移動してきた漆塗りのお厨子とお位牌(いはい)が現れました。生前、奇抜な仕掛けで観客の度肝を抜いた天才南北を、コンピューター制御のカラクリで拝める奇縁に驚きながら合掌しました。

 一時は荒れ寺となっていた春慶寺を再興し、南北のお墓を守り続ける住職の斉藤尭圓師によると、死期を悟った南北は、自らの弔いをめでたい万歳に仕立てた台本「寂しで光の門松後萬歳(かどまつごまんざい)」を冊子に刷り、竹皮で包んだお団子に添えて会葬者に配るよう弟子に言い残したそうです。

 「生世話物(きぜわもの)」と呼ばれる社会の底辺に生きた人々を写実した南北独特の世界では、悪人たちが事もなげに残忍非道を働きます。しかし因果は巡り、浮かばれない霊魂に苦しめられたあげく自滅していきます。昨今は猟奇的な犯罪が次々と起こり、誰もが危うい日常を過ごしていますが、この状況を大南北はどう思われることでしょうか。

(上毛新聞 2005年9月14日掲載)