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◎3歳ごろまでに決まる 人間が人間として生きるための潜在能力の覚醒(かくせい)は、三歳ごろまでに終わる。 私たち人間が、現在このような姿で生きているには、それなりの理由がある。はるかな昔、自然の、ある条件の下で、生物が生き続けていくと、必然的にこのようなものが出来上がるという、自然からの要求ともいえる、方向性が存在した。地球の今までの過去の経過は、人間や生物を生み出すために必要な条件を、絶え間なく設定し続けてきたということになる。われわれの身体は、生物が十億年余りを生存してきた、過去の経過を引きずっている。人間以外のすべての生物も、それぞれがそこでそのような姿で生存する必然性を持って生きている。 かつて、オオカミ少年と呼ばれた運命の子たちが発見された。わが子を失った母オオカミが、母性本能の赴くままに、人間の乳児を、たまたま見つけくわえて行き、乳を与え育てたという例だ。が、問題はこれらの子が発見され人間界に連れ戻された後のことだ。オオカミ社会で数年を経ているのだから、この子たちは少なくとも四、五歳以上になっている。そして、この子たちを、何とかオオカミ社会から人間社会に戻そうと教育したが、いずれの場合も失敗している。 犬や猫は生まれてすぐ、親から離して育てても、犬は犬、猫は猫になる。しかし、オオカミに育てられた人間の子は、決して直立二足歩行をせず四つ足で走り回り、食事も手を使わず、食物に口をつけて食べる。結局人間の生活には戻れず、仲間を恋う遠吠(とおばえ)を残し、悲しい運命のまま死んでいった。猫の親は猫であればよい。しかし、人間は「親が人間である」というだけでは、人間として生きることが不可能なのである。 人間が人間になり得たそもそもは、前足を手に変え、その指を自由に動かすことで、頭脳が発達した。指を動かさずにいると、潜在能力が発揮されぬまま退化してしまう。この能力覚醒の大切な時期がどの辺りにあるのか、オオカミ少年が教えてくれる。 人間は生まれるとき、他の動物と違って親並みとはいえぬ、はるか以前の未完の段階で産み出されてしまう。結果、自立までに時間がかかる。受胎後、数十億年の生物進化の過程を、猛スピードで母胎の中で復習してくるが、最後の仕上げを残して出産という憂き目にあう。生後半年―三歳ぐらいまでの保育時期が、親に課せられた最も重要な仕上げの時間ということになる。 この時期、両親との心の交流、抱かれる母の胸の温かさ、指先を使う環境・遊び・玩具との出合い。これらによって先天的潜在能力が覚醒され、人間として生きる方向性が決まる。あとは、知的好奇心を促す教育という後天的学習と、努力によって能力が磨かれる。 昨今の親の中には、少なからずこの最後の仕上げの責任を放棄してしまうものがいる。かくして、人間の尊厳と愛を失った形ばかりの人間が育つ。心を闇に迷わせ彷徨(ほうこう)する少年少女たちの寂しい姿が、私にはどうしても、オオカミ少年と重なってしまうのだが。 (上毛新聞 2005年8月16日掲載) |