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◎新市へ先人の贈り物 伊勢崎市殖蓮小学校校庭で行われた三軒屋遺跡の発掘調査で、古代佐位郡の郡役所(郡ぐん衙が)の跡が発見された。六月三十日の見学会には、千人を超える市民・県民が訪れ、熱心に担当者の説明に聞き入った。 もともとは体育館建設に伴う事前調査だった。調査が進み、八角形の巨大倉庫が見つかったことで、佐位郡衙跡であることが確実になった。郡衙跡が推定される遺跡は、全国各地に数多いが、確実にそうだと分かるものは極めて少ない。しかも、八角形の倉庫(税の稲を納める正しょうそう倉)となると唯一である。 調査が終わり次第、建設を始める予定だったが、市関係者が協議を重ね、ここでの建設中止を決めた。記者会見で矢内一雄伊勢崎市長は「一月の市町村合併で新伊勢崎市が誕生した。三軒屋遺跡の大発見は、それに対する先人からの贈り物と思える。大切にしていきたい」と保存を決意した背景を語っている。 今回の発見には、本県だからこその条件が幾つか重なっていた。一つは『上野国交こう替たい実じつろくちょう録帳』という、平安時代の国司交替の引き継ぎ書類が全国で唯一残っていたことである。そこには、上野国十四郡の各郡について、郡衙にあった建物のことが詳しく書かれている。その佐位郡衙の項には、数多くの建物の中の一つに「八面甲倉」という記述がある。これは八角形の校あぜ倉くらづくりの倉のこと。この種の建物は佐位郡以外の項にはなく、全国の推定郡衙跡の発掘でも出ていない。きっと、佐位郡衙だけの特別な建物だったのだろう。 古代の佐位郡は伊勢崎市の東部、赤堀町、東村、境町、すなわち合併後の新伊勢崎市の地域が該当する。三軒屋遺跡の地が古代佐位郡の区域に属していることは間違いない。その発掘調査で八角形の大型倉庫が見つかったのだから、『実録帳』の記述と遺跡の実際がぴったり一致したわけである。体育館建設を当初予定した位置が少しでもずれていたら、この大発見にはならなかったろう。古代佐位郡の人たちが新伊勢崎市民にプレゼントしてくれた建物というのもうなずける。 ところで、『上野国交替実録帳』の発見にも曰いわく因縁がある。見つかったのは、大正十一年のこと。『延喜式』という古代法の施行細則集に使用されていた紙の裏面から偶然見つかったのだ。この時代、紙は大変な貴重品。行政の書類としての役割を終え不要になったので、書類を裏返して再利用したのだ。この書を所蔵していたのは京都の公家九条家である。その屋敷がかつて火事になったとき、大事な書を守るため井戸に投げ込み、危うく難を逃れたと伝えられている。この『交替実録帳』の運命もまたドラマチックである。 歴史的偶然の積み重なりの中で、古代佐位郡衙は千三百年の眠りから今よみがえった。何とも言えない感動を覚える。郡衙跡は、まだそのほんの一部が姿を現したにすぎない。今後、三軒屋遺跡に潜む古代佐位郡に暮らしていた人々からのメッセージを読み取り、復元する作業はこれからだ。 (上毛新聞 2005年8月14日掲載) |