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◎物を大切にする心を 大リーグ、シアトルマリナーズのイチロー選手が日本に帰国した折、ある野球少年から次のような質問を受けました。「どうしたら、もっと野球がうまくなりますか?」。イチロー選手は「それはね、道具を大切にすることだよ」と答えました。道具への執着や感謝こそ、その道への集中力を高める最良の手段だということでしょうか。バットやグラブ、スパイクはイチロー選手にとって自己実現のための大切なパートナーとなっているわけです。 さて、われわれが日ごろ使っている身近な道具に目を向けてみましょう。ここで問題です。日本人が最も頻繁に使う道具はなんでしょう? 答えは「お箸(はし)」です。一年三百六十五日、洋食の時は別として、ほぼ毎日必ず使う道具。それがお箸なのです。生きるための糧を口に運ぶ二本の棒を、皆さん大切にしているでしょうか。そしてこだわっているでしょうか。 私がこんなことを考えるようになったのも、前橋にあるお箸の専門店にふらっと立ち寄ったのがきっかけでした。そこで購入したお箸はもちろん手作りで、持った瞬間に手になじみました。素材は「桑」で「拭(ふ)きうるし仕上げ」と説明書きにありました。そして、何よりそれを作った人の心が伝わってきたような気がしたのです。 日本人の一生は「箸初め」に始まり、最後は骨を箸で拾われて終わります。グルメブームなどと言われて久しいですが、その大本はお箸や食器の文化だと思います。 古代、人は葉っぱの上に食物を乗せて手で食べていたでしょう。やがて土器文化が起こり、器も替わりました。お箸がいつごろ誕生したかはいまだ特定できませんが、発祥地は中国というのが定説になっています。日本では聖徳太子が最初に箸食を制度として採用したことが知られています。六〇七年、小野妹子らが遣隋使として目にしたのが箸を使った中国の食事作法でした。この報告を受けた聖徳太子は、さっそく宮中の食事に取り入れたのです。以来、連綿と伝わってきた日本の箸文化。 一昔前までは、お箸はとても丁寧に扱われました。食事の時以外はおのおのの箸箱に大切にしまっておきました。もちろんそのころのお箸は漆仕上げの手間の掛かった良質のものです。ところが、今のお箸は割り箸やプラスチック、安価な科学塗料を使用した物などが出回り、使い捨ての代名詞のように扱われています。 よい物を愛着を持って使うからこそ、物を大切にする心が芽生えるのではないでしょうか。また、親から子へ、お箸の持ち方を教える食卓でのコミュニケーションも昨今希薄になっているような気がしてなりません。 日本の食文化を豊かに満喫し、それを未来の子供たちに伝えていくためには、どうしたらいいでしょうか? 「それはね、よいお箸や器にこだわり、それらを大切に扱うことだよ」と、イチロー選手も答えるかもしれませんね。 (上毛新聞 2005年7月22日掲載) |