視点 オピニオン21 |
■raijinトップ ■上毛新聞ニュース |
|
|
◎多様な世界から学んで 高崎市内の中心商店街も平日の夜十一時ごろになると、周辺の商店もシャッターを下ろし、夕方のにぎわいがうそのように静かになっている。ごみ袋を倉庫にしまうため、建物の裏に向かう。街の雑多なにおいの中、初夏に向かうあの懐かしい風が体を流れていく。五月下旬「シネマテークたかさき」の最終上映『ベルリンフィルと子どもたち』が終わった。もっとたくさんの子供たちに、この映画を見せたかった。 映画は、ベルリンフィルがストラビンスキーの「春の祭典」を演奏し、舞台では小学生から二十歳までのベルリン在住の出身国や文化も異なる子供たち二百五十人がダンスを踊るまでの六週間の練習風景を描くドキュメンタリーである。これこそ「教育プロジェクト」であり「ダンスプロジェクト」でもある傑作映画だった。 そして、翌週は『運命を分けたザイル』を上映してきた。この作品も、小学高学年、中学、高校生すべてに見てほしい映画である。これはイギリスの二人の青年が南米ペルーのアンデス山脈の未踏峰に挑んだ実話をもとに製作されている。苦難を極めてようやく登頂に成功するものの、帰路で遭難し、言葉にならない絶望的な状況に追い込まれていく…。 これは、山岳映画の範はん疇ちゅうを超えている。死への恐怖、生き続けるための意志、肉体の限界とは、友情と挫折感、ひとりぼっちの戦い…。考えてみれば、ここには極めて現代の人が生きていくテーマがこの映画の中にあふれている。 県は昨年から、小栗康平監督とともに子供たちに対する「映画教育」をスタートさせた。わたしたち全国コミュニティシネマ推進会議も海外の「映画教育」について、調査と日本国内での実践を緩やかではあるが始めている。近い将来、フランスやイギリスのように学校教育のカリキュラムにこの「映画教育」を取り組んでいけたらと思う。 今始めなければならないことは学校に美術や音楽、そして演劇の指導的立場の先生がいるように、映画と教育について思いを巡らし、子供たちに多様な映画を見せる、見たくなるように導いていく「教師」が必要でないだろうか。フランスでは小学高学年、中学生、高校生向きの映画リストが用意され校内や映画館での上映会が開かれ、その映画解説書も整備されている。 日本でも、団塊の世代の人たちは小学生から高校生まで、多種多様な映画を当時の大人たちや同級生と見てきた。そこには必ずしも教育的な映画ばかりでなく、子供に見せたくないような映画も含まれていた。 しかし、社会の縮図としての映画、きれいごとではすまされない社会や思いのままに生きることの難しさを映画の中で学んできたと思う。それでも何とか生きていかねばならない人間の在り方を教えてもらったと確信している。映画には、そのような「映画力」が確かにあると思う。それを子供たちに触れさせたいものである。 (上毛新聞 2005年7月6日掲載) |