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◎親は最も重要な立場に 「銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも」。古く奈良時代の歌人、山上憶良のこの歌の心は昔も今も変わりはない。 言うまでもなく「銀や金、玉といった宝も、子には及ばない」という意味だが、その大切な子宝が年々減少し、このままでは国が成り立たなくなるとまで心配されるところとなってしまった。そのうえ、その宝が変質者ともいえる人たちの犠牲になったり、親権者などによる虐待死など悲しい事件も後を絶たない昨今である。 次代を担うその大切な子供たちも、自らの意思で行動できる年代ともなれば、一部のものとはいえ、不登校、いじめ、家出等のほか、いわゆる非行といわれる万引、暴行、暴走、重大ないたずら、恐喝、傷害、性行動、はては集団自殺の仲間入りまでと、困ったことも続発している。当局の発表などによると、昨年に補導された少年は前年の四割増となり「少年非行は深刻」と心配されいる。 どうして、こんなことになってしまったのだろうか。非行に走る子供の中には、家庭や学校が楽しくないという子の率が高いという調査結果もあるようだが、私が師事している他町の識者の方はこう言っている。 「問題児の行為、その罪は、その子供たちを育ててきた今四、五十代の親たちにあり、物の豊かさなどにのみこだわり、子供たちに耐える心、思いやりの心、そして夢をもたせる教育も怠り、よい手本も示さなかった結果の表れ、といっても過言ではないと思う」 私も納得のいく言葉と受け止めている。今の世には、子供たちによい手本とならない大人たちも多く見受けられるが、それはそれ、いかなる場合でも、最も重要な立場は親たちであると思う。 PTA創始者のアメリカ人、アリス・バーニー女史は一八九五年、わが幼子の安らかな寝顔を見入っているときに、ひらめいたことは、この悪と矛盾に満ちた社会から、たくさんの尊い命を健やかにはぐくむためには、まず母親が盾とならなければ―と立ち上がったと伝えられている。 数年前になるが、当時の私ども民生・児童委員の研修会にお招きした講師の元小学校長は講義の中で、次のような北海道一寒村の小学三年女児の作文(詩)を紹介してくれた。 「私のお母さん」 お母さん なぜあたたかいごはん食べないの お母さんはいつも残りものを食べている だまって うつむいて 私たちに食べさせるためかな? おいしいおかずも食べないで おしんこで食べている 本当に おいしそうに… お母さんてかわいそう 私わがままなんていわないね やさしい私のお母さん 純な子供の母親を見つめる姿、生活の厳しさの中で生きている子。何事も我慢して、母親の小さな愛情に包まれて…。これが尊い生きた教育の場であるのに対し、満ち足りた生活の中で生きている子、言えば何でも買ってもらえる子。だから今の子は我慢ができない―と講師は結んだ。まさに、その通りだと思う。 (上毛新聞 2005年6月22日掲載) |