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◎粘り強く本質に迫ろう 昨年のベスセラーの一冊に『負け犬の遠吠(とおぼ)え』というのがある。「三十代以上、独身、子供なしの女性」のことを「負け犬」というのだそうだ。そうした女性が自分のことを本当に「負け犬」と思っているかどうかは、疑問のあるところである。しかし、こうしたタイトルの本が売れるというところに世相が現れていると思う。 最近、市場原理主義、競争至上主義が世の中を闊歩(かっぽ)している。経済合理性、効率化をとことん追求していくことが善とされる。その結果、何が起きているか。 ▽何事も金勘定、損得ではかるようになってきた。 ▽非合理、非効率なことを悪と考えがちになってきた。 ▽物事を勝ち負けばかりで考えるようになってきた。 ▽総中流社会といわれた時代は去り、格差拡大社会になってきた。 ▽自殺者が激増し、その数が減らない世の中になってきた。 ▽治安にも不安を覚える人が増える世の中になってきた。 ―などなどである。経済合理性の追求も効率化も大事なことだ。でも、ちょっと考えみてほしい。人間、世の中そう単純ではない。 しかし、単純な方が分かりやすいのも事実だ。白か黒か。もうかったか損したか。勝ったか負けたか。スポーツやゲームならそれもいいだろう。ただ、人間をめぐるさまざまなことは、そんな単純には割り切れない。金勘定では済まないこともあるし、理屈と合理性だけで事が済めば楽なものだが、非合理な世界に身を置かなければならないときもある。 スピードの速いことばかりがいいとも限らない。勝ったようで負け、負けたようでそうでもないといった勝ち負けの判然としない場合もある。単純に割り切れないのが人間であり、その人間がつくっているのが社会だ。 それにもかかわらず、物事を単純化し、勝ったとか負けたとか、善か悪かといった二元論的発想や思考にはときに幼稚さを感じるばかりでなく、危険さえ感じる。 ただ、二元論的議論は極めて分かりやすい。その分かりやすさについ引かれてしまう。時間がないときや忙しいときは一層危ない。テレビでの討論番組でも、あの短い発言時間では単純化した物言いしかできないだろうし、まして質問にマルかバツかで答えさせるようなことでは、その人の本当に答えたいことは皆目分からないだろう。 人間一人を本当に理解しようと思っても、実は人というものがいかに複雑で分かりにくいものであるか、ということに気が付くはずだ。その人間がつくっている社会はさらに複雑である。われわれは分かりにくさに辛抱しながら、粘り強く事の本質に迫る忍耐力と思考力とを持ちたいものだ。 (上毛新聞 2005年6月20日掲載) |