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富岡市立美術博物館長 今井 幹夫さん(富岡市七日市)

【略歴】群馬大卒。富岡市史編さん室長、下仁田東中校長、富岡小校長などを歴任。95年から現職。「富岡製糸場誌」「群馬県百科事典」など著書・執筆多数。

学生と富岡製糸場


◎生きた教材として機能

 私は群馬大学教育学部の非常勤講師という立場で「中学校社会科指導法講座」のお手伝いをしている。その役割は中学校社会科指導法に関する実地指導であり、現地に赴いた学生たちが具体的な素材に触れながら、これを彼ら自身がいかに解析し、教材化を図るかについての考察を深める段階でのお手伝いである。

 当地域で最適な素材・教材はなんといっても旧富岡製糸場に勝るものはない。なぜならば、当工場は政府の殖産興業政策の事業として小中高校において必ず学習するからである。

 さて、現地指導の手順に触れると、まず事前にレジュメを渡して予習をしてもらい、現地では彼らが実物に触れながら、その歴史性や特質などを十分に理解するように努めている。

 例えば、フランドル式の木骨れんが造りの建造物は他に類例がない。木材の腐朽防止のために当初からペンキを塗る。れんが積みの下水溝を敷設して汚水を流す。フランス製の鉄枠のガラス窓にはパテを使用する。避雷針のアースの深さは四メートル以上もある。石炭のばい煙を放散する煙突の高さは三十七メートル以上もあり、環境衛生にも配慮しているなど、現在の建築水準と比較しても決して劣らない工夫や工法を採っているところに特質があることを強調する。

 指導後、特に楽しみにしていることは、担当教官から送っていただく学生のリポートを読むことである。文の冒頭には多くの学生が「富岡製糸場が往時の姿のままで残っていることにすごく感動した」「当時のヨーロッパ文化の粋を集めた施設・設備に圧倒された」「超近代性が生きている」などと記している点が印象的である。なかには「今まで学習はしてきたが、現実に建物が残っているとは考えたこともなかった」という感想文さえある。

 次いで突出する表現は、「自分たちが今まで学んできた歴史学習は、単に年号を記憶するためとか、通り一遍の知識の積み込みであったことを猛烈に反省したい」という多くの学生たちの偽らざる述懐の言葉である。

 リポートは事実認識の大切さ、ここでは現地学習の有効性を示すものであり、私は感激して読みながら一人一人の学生に私の感想を込めたコメントを送り返すことにしている。

 現在、教育の場において感動する場面が少なくなっている、という話をよく聞く。しかし、今挙げたような実物と直接対面し、その圧倒される素晴らしさを体感するとき、胸の底から感動がわき上がるのもまた事実なのである。

 私は彼らが将来、教師になったとき、彼ら自身が得た感動や感銘をいかに児童生徒に伝えられるか、または与えられるかということを、ぜひ今後の課題としてほしいと訴えることにしている。学力問題がまた、やかましく叫ばれてきている。こんなとき、本当の学力とは、本当の感動とは何かなどを提起してくれる生きた教材としても旧富岡製糸場は機能できると思っている。世界遺産の登録問題は、立場を変えたとき、このような課題が足元にあると考えたい。

(上毛新聞 2005年6月19日掲載)