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◎文化の担い手は私たち 「利根沼田は文化不毛の地」という言葉に迎えられたような片品村移住だった。グラフィックデザインというジャンルで長いこと文化をつくる側の仕事をしてきた私にとって、引っ越して間もなく聞いたこの言葉には複雑な思いを抱いた。 衣食住という、生活の根本にある文化はもちろん、音楽や美術など、人は文化と無縁では生きてはゆけない。私にしても、文化をつくる側としてはごく一面であり、他のほとんどの面では受け手側なのだ。つまり、文化とは送り手側だけのものではなく、受け手がいて初めて育ってゆく。一人一人が文化の担い手であることを自覚すれば、文化不毛の地などという認識はありえないはずだ。 片品村を散策していると、そこここに野辺の道祖神や石仏を見かける。いまでこそ、それらに手を合わせる人の姿は見かけられなくなったが、それらが作られた当時は、日々の生活と密着したところで人々とかかわってきたことは想像に難くない。 わらじがスニーカーに代わり、わらぐつがゴム長靴にとって代わったように、便利さを求める文明の発達と同じように、利根沼田の文化もその時代、時代の変化に沿って変遷を重ねてきたはずだ。そして、いまの時代の文化を担っているのは、受け手でもある私たち一人一人なのだ。 「木暮さんがデザイン講座をやってくれたら、おれんちのホームページもよくなって、最高なんだよなあ」。リンゴの収穫がほとんど終わった昨年の秋が深まったころ、インターネットによる産直に力を入れている農家の人に言われた言葉に興味を持った。 一回や二回では意味がない。やるならせめて三カ月。十三回のプログラムを組み、受講料は大きな負担にならない額、でも無駄にはできない額を受講者に負担してもらうという形で講座開設を発表した。 片品村で初めての有料での勉強会に、どれほどの反応があるのかを気にした人もいたが、ふたを開けてみたら四十代も後半を過ぎた農家の人、旅館や民宿、ペンションを経営する人、役場職員や販売、接客の現場に勤務する人など、なかには二家族が親子での受講を申し込んできた。私の方にも気合が入る。 年が明けて始まった講座の回が重なるにつれて、一人一人の作風、個性がはっきりとしてきた。プロの現場を経験していないというだけで、感覚的にはそのままデザイナー、イラストレーターとしての可能性を持った人もいる。非常に精神的なコンセプトを立てて作品を仕上げてくる人もいるのだ。 広告業界という下世話な世界で仕事をしてきた身で、人に教えることのおこがましさを感じないではなかったが、私が経験してきたことを少しでも片品の人たちの仕事に役立ててもらえるなら、民間の活動は基本的には営利なのだから、と有料で始めた講座の思わぬ収穫だった。 きっかけは何であれ、意識の目覚めが変化につながる。一人一人が文化の担い手であることを思い出せば、「利根沼田は文化不毛の地」ではなくなるはずだ。 (上毛新聞 2005年6月11日掲載) |