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◎生活の中で鍛えよう 先日、テレビのトーク番組に作詞家の秋元康さんが出演し、とても興味深いお話をされていました。「若い人に、根拠のない自信を持ってほしいと伝えています」。〈根拠のない自信〉。私には、とても新鮮な言葉でした。秋元さんは続けて、「根拠のある自信というのは、その根拠が崩れれば、自信までも失うことになります。しかし、根拠のない自信は、揺るがないのです」と付け加えてくれました。それを聞いて、私は心の中がぱっと明るくなるのを感じました。 よい実績を上げればとか、資格を持てばとか、経験を積めばとか、それを手に入れれば自信が持てそうに思えることはあります。ただ、それを苦労して手に入れたとしても、必ず自信が持てるようになるわけではありません。それにもかかわらず、自信の根拠を手に入れることに多大なエネルギーを使っている人は意外と多いのかもしれません。 根拠はいらない、ただ自分が自信を持ってしまえばよいという秋元さんのメッセージは、大胆でありながら、人がもともと持っている能力をとても信頼した見方だと思いました。私は、秋元さんがお話してくださったことのように、楽に楽しくなる物事の見方にとても興味があります。 同じ現象でも、見方を変えると世界は違って見えてきます。一週間ほど前、仕事で行き詰まったことが起こり、何とかしようと自分のコーチと話をしたときのことです。一通り、その件に関しての整理がついたところで、コーチは私にさわやかな声で言ってくれました。「これでまた成長できますね」。問題が起こったとき、それを問題だと見る見方もできれば、成長できるチャンスという見方もできます。これでまた成長できるという見方をしてみたら、仕事の行き詰まりもとても大切なものに思えてきました。 毎日の生活の中には、自分が楽に楽しくなる物事の見方はたくさん隠れているように思います。一見、うまくいかないように見えているときこそ、楽しくなる見方を鍛えるチャンスなのかもしれません。 私には、保育園生と小学生の二人の息子がおります。私は、一日の終わりに息子たちに「今日もありがとうね」「今日も楽しかったね」と伝えています。息子たちは「うん」と少し誇らしそうな顔で返事をします。正直なところ、一日を過ごす中で、息子たちがなかなかお風呂に入ってくれないなどという、ささいなことでいら立ちを感じることもあります。 ただ、一日の終わりに、一緒に過ごせた今日のすべてに「ありがとう」「楽しかった」という見方をすることで、素晴らしい一日として振り返ることができます。そのような見方をして床に就くと、何とも幸せな気持ちになれるのです。 (上毛新聞 2005年6月6日掲載) |