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◎鋸屋根に英国人の魂が 産業革命の発祥地、イギリスの紡績工場を訪ね、撮影をしてきました。北部を中心に限られた時間と範囲ながら、貴重な体験と英国気質に触れる旅でした。その一部を紹介します。 イギリスでは十八世紀中ごろから、木綿糸を紡ぐ紡績の機械化が進み、道具が機械に変わって産業の技術的基礎が一変、小さな手工業的作業場が機械設備による資本主義的な大工場になり、十八世紀後半から十九世紀初めにかけて産業革命が行われました。主導したのは綿工業でした。工業用建築はミルと呼ばれ、鉄の柱、梁(はり)、ロッドで骨組みし、外壁はれんが積みで、高い煙突がついています。三角屋根と煙突のイラストマークは道路標識にも描かれ、目を楽しませてくれました。 本格的工場は一七七一年建設の「クロンフォード・ミル」で、世界初の綿紡績工場です。世界文化遺産にも登録されています。工場は鋸(のこぎり)屋根ではなく、その後建設された「マッソン・ミル」はれんが造り鋸屋根の紡績工場です。訪ねた日は小雨まじりでしたが、渓谷に沿って立つ工場の周囲は木々が茂り、創設当時の姿を損なうことなく残されていました。 次に訪ねたのは一八二七年建設の「モスコウ・ミル」で、イギリス最古の鋸屋根紡績工場です。屋根のルーツを求め撮影してきた私は、感無量でした。現在は資料館と生活雑貨のショッピングセンターになっていますが、鋸屋根の店内は自然光が差し込み、さわやかな空間を提供していました。 今回の旅で五十棟以上の鋸屋根を確認することができました。しかし日本同様、操業している工場は少なく、取り壊されて姿を消しつつあります。鋸屋根は北から採光するため、通称ノースライトと言いますが、一般にはシェッド(小屋)と呼ばれています。ミルは高層で大きく、れんが造りとあって目につきやすいため、スーパーや貸しビル・マンションに利用されています。しかし、鋸屋根の工場は建物の間などに建てられ、屋根の利点を目にすることがなく、シェッドと呼ばれてイメージが悪く、取り壊されてしまうようです。 産業革命で富を得た企業家は、膨大な土地と建物を後継者に残しましたが、紡績業が衰退し、土地と建物が残されました。一八三八年建設の「アーミタージブリッジ・ミル」もその一つです。現在は「ノースライトギャラリー」という、れんが造り鋸屋根のギャラリーとして活用されています。経営者のマーク氏を訪ね、話を伺いました。 彼は「一五四一年操業の工場は、先祖が、職人が築き上げてきた産業と文化の遺産です。大半の経営者は貸しビルなどにして収入を得ていますが、私が残して伝えなくては自国の文化・歴史は書物の物語で終わってしまう、という危機感があり、困難なことは山ほどありましたが、ノースライトを立ち上げました」と力強く語っていました。 自国への愛国心と、歴史・文化に対する英国人魂を持つ人たちとの出会い、鋸屋根との出合いの旅は、私の一生の宝となりました。 (上毛新聞 2005年6月5日掲載) |