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◎俳句で精神を伝えたい 「みんな途中で終わるんだよ」。故井上房一郎氏の言葉である。この言葉には「与えられた使命を感じつつ、今を精いっぱい生きてゆきなさい」というメッセージが込められているような気がする。 「陶句郎さん、あなた今度『高崎哲学堂』で俳句講座をやってみない?」「哲学堂?」 ある方から、そんなお話をいただいた。月に一度、第三火曜日に句会を持つようになって一年八カ月が過ぎた。句会名は哲学(フィロソフィー)にちなんで「ひろそ火俳句会」とした。 「高崎哲学堂」は旧井上房一郎邸。高崎駅西口からほど近く、高崎市美術館や南小学校に隣接していて、市街地とは思えない閑静なたたずまいを残す。木戸をくぐると、カキの木とシイの木の間の飛び石に誘われる。 踏み石に石工の心枯葉舞ふ はる斗 落葉踏む昨日の雨の色も踏む みりん 木造平屋建ての母家を左手に飛び石づたいに中庭に回り込むと、天を突くような大ケヤキがあり、それを囲むようにして竹林がそよいでいる。 早春の風の音なる哲学堂 未来 風光る樹下に集へる女人達 千紫 ボランティアの方たちが心を配り、いつも手入れが行き届いた庭は四季折々の変化を見せ、句材に事欠かないのだ。 竹落葉作(さ)務(む)衣(え)の藍(あい)に降りかかる 夢乃 秋の木になりきつてゐる大欅(けやき) 冬一 また、庭の片隅にひっそりと茶室「戸方庵」があり、井上氏の遺影が飾られている。 囀(さえず)りにまだ眠さうな戸方庵 くるみ 主逝き十一年や椎拾ふ 陶句郎 母屋はレーモンドスタイルという洋風建築で、文化財としての評価も高い。句会場となる居間には暖炉があり、クラシックな家具が並んでいる。 哲学の火をともしたき暖炉あり 陶句郎 井上房一郎氏(一八九八―一九九三年)は本県の文化振興に大きく貢献した人物として広く知られている。井上工業のオーナーで、群馬交響楽団や県立近代美術館の生みの親でもある。その井上氏が晩年提唱し、設立を目指したのが「哲学堂」(現代の寺子屋)であった。氏は一人一人が自分の心をみつめ、人間としての基礎を築くことの大切さを説いて「現代の政治や教育の手の届かないことを勉強する高崎の寺子屋を作りましょう」と言われ、その設立運動に尽力した。 運動は高まりを見せたものの、具体的に設立までには至らなかった。しかし、氏の精神は途中で終わりはしなかった。その遺志を継いだ市民運動が種火のごとく続き、旧井上邸が公売に出されたのをきっかけに、市民財団がそれを落札。二〇〇二年五月十三日、ついに氏の誕生日に財団法人・高崎哲学堂として出発することになった。 自然をみつめ、自然の一部である自分の内面を見つめる俳句を通して、井上氏の「哲学堂」の精神を多くの人々に伝えてゆけたらよい、と考えている。 (上毛新聞 2005年5月28日掲載) |