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◎原点に迫る挑戦の好機 天保年間といえば、あの『木枯し紋次郎』が楊枝(ようじ)をくわえてニヒルにさすらいの旅をしていた時代。全国的な大飢饉(ききん)が発生し、一揆(き)や打ち壊しが起き、老中水野忠邦によって「天保の改革」が行われた一八四一年を「ヒトハヨイ」と暗記した日本史の授業が懐かしく思い出されます。奢侈(しゃし)を禁じ風俗を正すために、色里や芝居のような悪所を執拗(しつよう)につぶしにかかった「天保の改革」も、裏を返せば刹那(せつな)的に娯楽を謳歌(おうか)していた、庶民の暮らしがあったことがうかがわれます。 江戸文化の爛熟(らんじゅく)期といわれる文化、文政から天保にかけて、娯楽に刺激を求める風潮が広がり、芝居で熱狂的な人気を得たのが「変化(へんげ)舞踊」でした。変化舞踊とは、妖怪変化の踊りという意味ではなく、一人の役者が幾つもの踊りを変幻自在に次々に踊ってみせる、ショーアップされた所作事のことです。 鮮やかな変身は五変化、七変化とエスカレートし、天保十年、江戸中村座で四世中村歌右衛門が『花翫暦色所八景(はなごよみいろのしょわけ)』という八変化を上演して大評判をとりました。 この作品は、江戸の桜の名所でもある色里を八景にみたて、居ながらにして江戸の花巡り廓(くるわ)巡りが楽しめる、しゃれた趣向になっています。まず幕が開くと、出会い茶屋で知られた忍ヶ岡に美しい「天人」がふわりと宙乗りで現れます。天人は早替わりで「助六」になり、場面も助六ゆかりの吉原へと変わります。 といった具合に、「助六」から隅田堤の「年増」、両国は当時評判の女装の「飴あめ売うり」、深川の「景清(かげきよ)」から高輪の粋な「佃(つくだ)船頭」。一変して荻窪の「鷺娘(さぎむすめ)」になり、最後はにぎやかな音羽の「雀踊(すずめおどり)」へと展開するびっくり仰天の八変化です。この天保の八変化『花翫暦色所八景』があす二十八日、国立劇場の舞踊公演で百六十六年ぶりに復活通し上演されます。 平成の復活版は、早稲田大学の演劇博物館が所蔵する初演の台本をもとに、途絶えてしまった曲や振りを新たに加えて、八つの踊りを四人の舞踊家が一人二役ずつ踊ります。さらに、昼夜二回の公演はダブルキャストで、いま第一線で活躍中の名手たちが芸を競う新趣向です。 昨年発足した「国立劇場復活上演作品調査検討会」のメンバーで、今回の八変化復活を提案した古典芸能研究家の鈴木英一さんに、この作品の背景には「天保の行楽ブームと吉原以外の岡場所の繁盛がある」とうかがいました。打ち壊しが多発していた物騒な江戸で、町内でそろいの法被をあつらえて連を組み、桜の名所を回る「お花見ウオーキングツアー」がはやっていた、というのです。 華やかな踊りに奇抜な仕掛けが組み込まれた『花翫暦色所八景』の復活は、天保という時代の享楽のエネルギーを呼び覚ます試みであり、平成の舞踊家が日本舞踊の原点に迫る挑戦の好機になることも期待されます。 (上毛新聞 2005年5月27日掲載) |