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◎「慎み」重んじる社会を 電車に乗ると「駆け込み乗車は」「優先席は」「携帯電話は」と始まり、「脚は投げ出さないで」、雨が降れば「傘のお忘れ物が」…次々に乗客への注意が示されます。つい先日感心したのは、床に座ることへの注意が加えられていたことでした。そして、どの注意にも必ず「他のお客さまの迷惑になるから」という理由が加えられています。 世界広しといえども、こんなに親切な車内放送が行われているのは、きっとわが国だけでしょう。不特定多数の乗客を相手にしているわけですから、さまざまな場面が想定され、その内容はどんどん増えてしまうのです。 確かに、車内での迷惑をうっかり注意しようものなら、何をされるか分からないといった物騒な世の中になった感もあるわが国で、迷惑防止に車内放送は大きな貢献を果たしてくれていると思われます。しかしながら、ここまで注意されなければ分からない、つまり他人の迷惑を顧みない日本人が増えてしまったことを恥ずかしく思うのは私だけでしょうか。 かつて、御転婆(おてんば)な女の子を「はしたない」として、その行為を戒めたころがありました。「御転婆」は漢字から見ると、元気はつらつなおばあさんが張り切りすぎて転んでしまったような感じですが、その語源は(1)オランダ語の「オンテンバール」(手に負えない)から転じたもの(2)「てばてば」と足早に歩くさまに接頭語「お」を付けたもの―等とされています。また「はしたない」とは「端(はした)ない」で慎みがなく見苦しいさまを意味する言葉です。 昨今は女の子だからといって差別するのは良くないという考え方が強まり、「はしたない」という言葉もほとんど聞かれなくなりました。しかし、この「はしたない」という言葉の本にある「慎み」を重んじる気持ち、恥ずかしいと思う心を、今、社会全体で見直す必要があるように思われます。 それは、自分が話したいから話す、座りたいから座るといった身勝手は、何も若者に限ったことではないように感じているからです。そこには「慎み」を忘れ「恥」を「恥」とも思わない、言い換えれば「品性」を失いつつある自己中心的な日本人の姿が見え隠れしているからなのです。 先月二十五日、JR福知山線での脱線事故で百七人の尊い命が奪われました。ご家族や関係者の方々の悲しみ、憤りは言葉で言い尽くせないほど深いものと思われます。最愛の人を悲惨な状況で奪われた方々にとって、あまりにも過酷な現実でありましょう。 連日、JR西日本社員の常識を逸脱し「恥」を忘れた行為が放送されていますが、これでもかこれでもかと相手の非を報じるマスコミは真に被害者の憤りや怒りを代弁し、賠償問題が生じたとき当然の権利を得られるようにと考え番組を構成しているのか、いささか疑問を覚えるようになっています。亡くなられた皆さまのご冥福を心よりお祈りし、命の重さを一番に考えたJR西日本の真摯(しんし)な対応と、マスコミの「品性」ある報道を望みます。 (上毛新聞 2005年5月12日掲載) |