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◎生活の周辺にヒントが 今年の二月末、ニューヨークに行った。目的は二つ。造形作家のクリストが四半世紀の準備期間を経て、セントラル・パーク全体に展開したゲート・プロジェクトを見るためと、昨年秋にリニューアル・オープンしたMOMA(ニューヨーク近代美術館)を訪ねるためであった。白一色の雪景色の中に縦横に広がるサフラン色の垂れ幕をつけた七千五百のゲートの壮観さは期待以上であったが、展示作品を生かし切ったMOMAの建築空間と照明も見事であった。 そしてさらに感動したのが、建築とデザインの部門に入ったとたんに目に飛び込んできた懐かしく美しい布の一群であった。それらは新しい空間と照明の中で、私の記憶の中の姿を超えて繊細で洗練の極みを見せて生き生きと躍動していた。八点展示されていた布はすべて日本を代表するテキスタイル作家のものだったが、そのうちの七点が本県に関係のあるものだった。桐生在住の新井淳一氏と同じく桐生を制作の主要拠点とする須藤玲子氏の作品である。 生糸の生産と並んで本県の染織の歴史は古い。しかし、それが用途を持った消耗品であったために、産業としては評価されても文化や美術と結びついて考えられることは少なかった。また、時代の変化によって和服の需要が少なくなるにつれて、かつての繁栄は変質せざるを得なかったが、群馬の染と織の伝統はしっかりと積み重ねられ、そこに優れた才能が働きかけたときには、作り手の精神を担った芸術作品としても世界に評価される現代の布を生み出す豊穣(ほうじょう)な土壌を作り上げたのである。 昭和初年にも、本県の染織品が国際感覚の中で高い評価を得たことがあった。県立近代美術館の設立にも大きく貢献した井上房一郎氏の試みである。井上氏は一九二〇年代のパリで青年期の八年を過ごし、帰国後は家業の建設業を継ぎながら地域を活性化するためにさまざまな事業を展開したのだが、最初に手掛けたのが木工品などの地場産業のデザインを洗練させて、時代にかなう競争力をつけることだった。そしてその中に染織品もあった。 氏はそれまで着物の裏絹として流通していた高崎絹にモダンな捺染(なっせん)を施し、また着物地として織られていた伊勢崎銘仙を広幅の洋服地に替え斬新なデザインを考案して、洋服の時代に適応する努力をした。氏が群馬に招聘(しょうへい)したブルーノ・タウトもそのデザインを残している。これらの染織品は軽井沢と東京の銀座に氏が開いた《ミラテス》という店で、当時の文化人や大使館関係者をはじめとする欧米人たちに飛ぶように売れたという。 その下地となった高崎絹と伊勢崎銘仙のことを知りたいと思っていたとき、高崎の裏絹には「紅板締め」という華麗な文様染めがあったことを知った。今、その紅板締めの調査と復元のプロジェクトが始まり、これが井上氏の捺染の試みにヒントを与えたのではと楽しい推測をしながら私も参加している。群馬の各地には、探せばほかにも、まだ興味深い染織の歴史が隠れて眠っているような気がする。私たちの生活の周辺のそうした染と織を掘り起こしてみませんか。未来の素晴らしい布を生み出すヒントが見つかるかもしれません。 (上毛新聞 2005年4月25日掲載) |