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◎子育てに喜びを感じて 近年、児童虐待事件が頻繁となり、誠に憂慮に耐えないところである。虐待を受ける側はいうまでもなく、逃げることも、逆らうこともできない弱い立場の子供たちであり、かわいそうでならない。 本県では「子供を育てるなら群馬県」のキャッチフレーズのもと、子育て支援、健全育成を県政の大きな柱にして、さまざまな施策が講じられている。各自治体や民生・児童委員、各種奉仕団体の方々のご苦労は本当に多とするところであるが、広く国内においては、いたるところで痛ましい事件が後を絶たない状況にある。 今回は、昨年まで民生・児童委員としてかかわりを持ち、その昔、二人の子供を育て上げた経験なども思い起こしながら、特に子育て中の若い皆さん方に読んでいただきたく、筆を執る。 近年、核家族化は一段と進み、若者だけの世帯は増加の一途。そのうえ、物の豊かさを求めての共働きが増え、子供が生まれても落ち着いて育児に専念できない状況になっているのだろうか。離婚率も大変高く、その結果、子供を連れての再婚や同棲(どうせい)の人たちも目立つようになり、難しい環境の中でそのしわ寄せが子供に向けられ、揚げ句の果ては虐待につながるケースも多いように思われる。 赤ちゃんは泣くことが大切な意思表示であり、少し成長すればいたずらもする。おなかがすけば探しごとや、いたずらなど、自分の思うままのことをするのは当然なのだが、親の言うことを聞かないからと、ドライヤーでやけどをさせたり、たたいたり、浴槽に沈めたりする親もいる。一日中、子供を車に閉じ込めたままパチンコに興じたり、しつけといって折檻(せっかん)し、食事もろくに与えないなど、尊い子供の命を私物化し、反省もできないようでは情けない限りである。 動物の世界ですら、「焼け野の雉夜(きぎす)の鶴」というたとえがある。野火が巣の近くまで迫ってきて、ついに自身に火が付いても子を守るキジ。また、鶴は夜の寒さを防ぐため翼で子を覆って夜を明かすという。 私ごとで恐縮だが、わが家は二人の女児を育てたころは亡母も健在で、共働きのわれわれを助け、夜泣きする子を背負っては夜の道を子守り歩きしてくれた。また、強情で手におえないときには押し入れに閉じ込めたこともあったが、妻は出してあげるまでの間、閉めた襖(ふすま)の前で正座し続けていた。たたくときもおしりと決め、顔や頭は一度もたたくことはなかった。四十年余り前の昔話である。 貧しくて、多忙の毎日ではあったが、「這(は)えば立て、立てば歩めの親心」で子供中心、われわれ夫婦の人生で最も生きがいのある、充実した日々であったと今も信じている。どうか、子育て中の若い皆さんにも、その体験の中から生きがいと喜びを見いだしていただきたい。多くの人たちの温かいお力にも甘えながら。 (上毛新聞 2005年4月18日掲載) |