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◎死してなお花木に命 「里山の土に還(かえ)り自分の花を咲かせる、そんな樹木葬こそ、私たちにぴったりと思いました」 昨年五月に亡くなった画家の坂倉新平さんの妻、富代さん(60)は、新しいかたちの葬法に、こんな共感を覚えたという。 樹木葬というのは、遺骨を直接土に埋め、その場所に墓石ではなく花木を植樹するというもの。里山がそのまま墓地になる自然葬法だ。土に還った遺骨は木の栄養となり、やがて花を咲かせる。死してなお花木に命をつなぐという自然回帰の考えに賛同する人が関心を寄せ、希望者は年々増えている。 樹木葬墓地は岩手、千葉、京都などにあるが、坂倉さんが選んだのは岩手県一関市にある祥雲寺。日本で初めて樹木葬墓地をつくった寺だ。臨済宗だが、墓地購入時には宗教、宗派は問わない。婚姻届を出していない事実婚のカップルなども受け付けている。埋骨後三十三年間は、半径一メートル以内にほかの人の遺骨が埋葬されることはない。後継者がいない場合は寺が管理してくれる。費用は使用権と環境管理費で五十万円。 アカマツやコナラが息づく約一万平方メートルにわたる自然林が、墓地として県知事の許可を得た区域。遺骨一千体が埋葬できる広さだ。一九九九年十一月から約四年間で百人以上が埋骨、契約者は五百人を超えている。 昨年七月に、坂倉さんの遺骨は埋葬された。六十―七十センチほどの穴が掘られ、富代さんが骨つぼから遺骨を土に入れ、ヤマツツジの苗木を植えた。「山によく似合う花だと夫が言っていたことと、花が下を向かないところが好きなので、この花に決めました」と富代さん。 墓標としての花木は、ヤマツツジのほか、生態系を壊さないように、東北の地に合ったエゾアジサイ、ウメモドキなど、高さ二―四メートルほどで花をつける低木から選ぶようになっている。 岐阜県出身の坂倉新平さんは、二十九歳のときに渡仏、十八年間滞在した。この間に結婚した富代さんとともに、パリを足場にして北アフリカ、イタリア、ギリシャなどを訪ね歩いた。それらの地で出会った光に感銘を受け、透明感あふれる独自の抽象世界を創つくり上げた。 帰国後も、湘南の海に程近いアトリエで精力的に創作を続けていた。しかし、約十年前にパーキンソン病を発病。筆を握れる限界までキャンバスに向かっていたが、ついに力尽きた。六十九歳。画家としての円熟期に筆を折らざるを得なかった坂倉さんの無念さに、胸が痛む。 フランスから帰国後、「木と内なる光」をテーマに、シリーズ化された作品を残した。そんな坂倉さんがいま、絵のモチーフとした木に自身がなろうとしている。 富代さんは、雪が深い時期を除き、毎月、神奈川県の自宅から岩手の坂倉さんのもとへ足を運んでいる。「夫がうれしそうにしている気配が感じられて、気持ちが落ちつきます。いずれ同じところで眠れるかと思うと、死が怖くなくなりました」 もうすぐ、坂倉さんの花が咲く。 (上毛新聞 2005年4月12日掲載) |