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◎ふちと瀬を取り戻そう 春の陽光に水はぬるみ、川岸にはネコヤナギやスミレが咲き、ため池にはギギュウ(ギバチ)の子供が群れ、カエルは水草の中で、カジカは岩に黄金の卵を産みつける。ふちにはヤマメが悠々と泳ぎ、瀬にはウグイが群れる。家々からは川に通じる踏み固められた道があり、川は生活の場としても深くかかわり合っていた。こんな自然豊かな神流川が昭和四十年代半ばまで存在していたのである。 自然豊かな川も日本列島改造論が叫ばれ、各地で開発が進んだ。山の奥深くまで道路が切り開かれ、その残土は河川に無造作に放置されたころから変ぼうし始めたのである。開発により森のダムとなるべく森林は伐採され、保水力を失ってしまった。山は大雨や台風が来るたびに山崩れを起こし、濁流となって大量の土砂を川に流出、堆積(たいせき)させてしまったのである。 土砂の堆積により岩やふちは埋まり、変化に富んだ川は平凡な浅瀬に急変。岩やふちを失った川は水温が上昇せず、川藻も生えない状態となった。魚の餌であるプランクトンも生息できない環境となり、生命をはぐくむ環境には程遠いものになってしまった。現在は漁業組合で成魚の放流を定期的に実施しているが、その放流した魚が生き続け、産卵しないため増え続けられないのである。 川の再生とは、生命がはぐくまれる環境に戻すことである。そのためには水の浄化と併せ、瀬とふちを取り戻し、川の本来の機能を再生しなければならない。川の水をきれいにするため、神流川流域の町村では家庭から排出される生活雑廃水を合併浄化槽で浄化しようと、家庭に補助金を出して積極的に設置を進めている。 また、神流町神ケ原の川原では「ふちと瀬を取り戻す運動」が試験的に行われている。ふちと瀬を取り戻すためには、河川に流れ出し堆積した大量の土砂を取り除く以外に方法はない、と私自身は思っている。 そのためには、巨額のお金がかかることも事実である。しかし、発想の転換でお金をかけずに処理できる方法もある。それは、今までの公共工事などで大量のコンクリートが使用され、その砂や砂利は藤岡や本庄方面の遠方から運賃をかけ調達していた。今こそ、遠方からの調達をやめ、川の中流、上流域で堆積している砂や砂利を事業が行われる現地で調達し、利用すべきと思っている。 河川からの砂や砂利の採取許可はどこの省庁の管轄であるか、よく分からないが、法を緩和し、現状に即した柔軟な対応を願わずにはいられない。 川に魚がすめる川、生きている川を取り戻すことは川下の人たちに、それだけおいしい水も供給できることになり、一石二鳥なのである。県や町村、そこに住む人たちが環境再生に向け真剣に取り組めることができれば、かつてのような美しい自然豊かな神流川がよみがえるのも、そう遠い日ではないと確信している。 (上毛新聞 2005年3月19日掲載) |