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文芸評論家・筑波大学教授 黒古 一夫さん(前橋市粕川町)

【略歴】法政大大学院博士課程修了。92年から図書館情報大(現筑波大)に勤務。大学院在学中から文芸評論の世界に入る。著書、編著多数。

学生たちに接して


◎知的好奇心はどこへ

 あまり知られていないことだが、大学教師にとって一月半ばから二月にかけての時期は、「師走」(教師が走り回るという意味で)のような忙しさに明け暮れる。入学試験(学部・大学院)、期末試験(と成績評価)、卒論審査(と発表会)、修士論文の審査(同)、博士論文の審査、来年度のシラバス(授業計画)作成等々に加えて、学期末と新学期にかかわる会議と、めじろ押しのスケジュールに追われる。

 先日、手帳をめくってみたら、二月の一カ月で授業以外(勤務校の筑波大学は全国でも珍しい三学期制を採っているので、二月いっぱい授業がある)に、会議や出席しなければならなかった卒論発表会などが、休日出勤を含めて九回あった(会議数十七回)。

 従ってこの時期、教育と研究の二面に従事することを建前とする大学教師にとって、まったく「研究」どころではないことになる。もちろん、恒常的な不況状態にある日本経済の下でリストラに脅えながら「サービス残業」などの過剰労働を強いられている人たちからは、お前たちはまだ恵まれている、と言われるだろうことは重々承知している。

 にもかかわらず、大学教師にとっての「師走」状況をあえて書いたのは、大学院入試や卒論(修論)発表会、その後の打ち上げコンパ、期末試験などで、普段より学生の「生の声」を聞く機会が多くあり、いろいろと考えさせられることがあるからにほかならない。

 最近の若者(学生)は、などと言うと、「またか」と若者たちから総スカンを食いそうであるが、多忙であるがゆえに学生たちの「生の声」と接することの多いこの時期にいつも思うのは、年々、学生たちの「知的好奇心」、あるいは「他者への関心」が弱くなっているのではないか、ということである。

 自分の好きなことには時間と金を存分に費やすのに、それ以外のことには見向きもせず、この自分たちが生きている社会(世界)で理不尽な殺人や暴力が横行し、あるいは飢餓で苦しむ人たち、戦争で死んでいく人たちがいるというのに、その「現実」やよって来たる「歴史」についてほとんど関心を示さず、ただひたすらこの「豊かさ」を享受して、恬てんとして恥じない。

 「恵まれた」自分たちの現在に何の疑問も抱かず、いつまでもこの「平和」と「豊かさ」が続くと思っている能天気さ。平和主義の根幹を揺るがす「憲法改正」が迫っているというのに、それさえもわれ関せずという「オタク」的な生き方を続ける若者たち。本当に、このままでいいのだろうか。

 危ういな、と思わざるを得ない。若者(学生)特有の瑞々しい感性と柔軟な思考、および毅きぜん然とした行動力はどこへ行ってしまったのだろう。そんな「愚痴」をこぼすのも、「老境」に入ったということなのかもしれないが、暗たんたる「未来」にならないことを願うがゆえに、「最近の学生・若者は…」と言わずにはいられないのである。

(上毛新聞 2005年3月18日掲載)