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◎愛する心が原点支える スーパーストアの駐車場である。家人の買い物を待っていた私の視界に、見るからに幸せそうな若いカップルの姿が近づいてきた。間近になって、その女性の顔に見覚えがあることに気が付く。はて、まさか…。えっ、やっぱりそうだ、あの女性(ひと)だ! 通常、私の仕事は午後十時に終わる。ひと息ついて、さて、と晩酌に外に出る。五、六分歩いたところに、深夜二時まで営業のラーメン屋がある。この時間で気軽に寄れる店はここだけだ。ギョーザ、ときにはチャーシューなどをつまみながら、熱かんを飲む。いつのころからか、アルバイトの女性と軽口を交わすようになった。 わざわざ断ることもないが、最近はどこの店でも、マニュアル通りの受け答えしか返ってこない。わざと困らせようと「焼きギョーザは飽きたから、ゆでて水ギョーザを作ってください」「駄目です。あの釜はめんしかゆでません」と何とも素っ気ない。が「私はきょう、家で水ギョーザを食べました」と言ってカラカラ笑ったりした。その上、彼女は非常に体格のいい人で、広い背中、どっしりした体はむしろ小気味よささえ漂わせていた。 その彼女が突然、ほっそりとした顔になり、姿を消した。アルバイトをやめて介護の学校に行ったという。巨体が行き来していたラーメン屋の店が急に寂しくなった。 半年ばかりして、店の閉店が二時から十二時に変わった。主人が胃の手術をした。奥さんと息子さんが頑張ったが、とても手が足りない。そんなとき、再び彼女が姿を見せるようになった。 主人が元気なときから、彼女のチャーハンをいためる鍋振りは見事だった。「たとえアルバイトとはいえ、お世話になったお店の主人です。そのご主人が、いま一番悲痛な思いをされています。必ず元気になって帰ってくることを信じて、お手伝いをしています」「介護の学校は?」「夜のお店のお手伝いも学校も大丈夫です」。彼女の笑顔がさわやかだった。 主人が退院し、体力が回復してきたころ、彼女の姿は、再び消えた。 それからは、晩酌は家で飲み、昼食をとりに時折、すし屋に通った。あるとき、無理をいって開店前に店に行った。すると、私だけかと思った店の小上がりに座布団を並べて、老夫婦が気持ちよさそうに寝ている。 「あれ、どうかしたのですか」「いえ、いつものことです。おばあさんが病院へ薬をもらいに行くんです。おじいさんが運転して、おばあさんがナビゲーターです。だから、いつもご一緒です。早く用が済むとこうしてお昼まで休んで、ご飯を食べて帰ります。うちの方でも、店の鍵を開けておきます。いつでも入って休めるようにね。まあ、留守番してもらってます」 彼女は恋うる人のためにダイエットをし、世話になった人のために助力を惜しまなかった。すし屋の主人は老夫婦を信じ、愛した。 人を信じ、愛する心こそが、真の介護・福祉の原点を支える。すし屋の屋号は「あいき鮨ずし」。その女性の名は「みっちゃん」。 (上毛新聞 2005年3月15日掲載) |