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◎本来の姿をどう残すか 日本中を震撼(しんかん)させた阪神・淡路大震災は、先月十七日で十年を迎えました。六千四百人以上が犠牲となり、約四十六万世帯の家屋が全半壊しました。昨年十月二十三日には新潟県中越地震が発生、さらに年末にはマグニチュード9・0というスマトラ沖大地震とインド洋津波が発生し、死者・行方不明者は三十万人近くになっています。 数字を見ただけでも、総毛立つ思いがします。専門家によると、二十一世紀は地震の世紀で、断層やプレートの上にある日本列島は、いつどこで大地震が起きても、おかしくないのだといいます。 昨年秋、仕事で神戸へ行き、復興十年を迎える街を訪ねました。駅前は近代的なビルが建ち並び、かつての雑居ビルは面影もなく、朝の通勤ラッシュで街は忙しく動いていました。震災後、気になっていた店があり行ってみると、新しいビルになっていました。近所の人から移転先を聞き、店の主人を訪ねて再会を果たしましたが、私の心境は複雑でした。 店主は「家も店も全壊、知人が亡くなり地獄のようだったけど、生まれ育った街に住みたいという思いだけで、残った町内の皆と炊き出しを食べ、助け合ってきた。だから恩返しのつもりで店を始めたけど、ビルは建っても街や人が変わってしまい、寂しいよ」と涙を浮かべていました。復興への取り組みで問題となったのは、行政の進め方だったようです。強引といわれた都市計画決定などは、住民の不信感を生み、住民の意思はどこまで反映できたのでしょうか。店主の話は続きます。 「復興には急ぐべきものと、急いだらあかんものがある。生活にかかわるものは急ぐべき。でも、街の姿をあんなに次々と近代的に変える必要はないよ。地震でみんな消えてしまった。でも、街には刻まれた歴史がある。人々の営みの中で生まれ、引き継がれてきた地域の記憶がある。昔の景観を大切にしようという気は、行政にはないようだ。もう十年、いや、まだ十年やなあ。楽しく生きなあかんよ。訪ねてくれて励みになったよ」 街に刻まれた歴史が崩れ、震災の深い傷に触れた私は、頑張ってとは言えず、言葉に詰まってしまいました。 また、震災は文化財の大切さを再認識させると同時に、災害に対する文化財のもろさや保護制度の限界を見せつけました。被害総額は指定文化財だけで百億円にもなり、全体の10%が建造物。保存と補強、地域防災計画の保護規定など、ハード面の基盤整備は重要ですが、あるべき本来の姿をどう残すべきか。まちづくりは、行政側の「こうあるべき」論では無理。住民と連携を深め、いろいろな手法を使い、住民の要望に応えてほしい。 多くの人が深い傷を負った震災は、決して忘れることはできない。「住民の意思、心のケア」を中心に、これからが正念場と感じました。と同時に、店主に言葉もかけられなかった自分が、やるせない思いでした。 (上毛新聞 2005年2月24日掲載) |