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◎字幕は親切な手引き 落語に「寝床」という噺(はなし)があります。義太夫に凝った大店(おおだな)の旦那(だんな)が、店子(たなこ)や奉公人を集めて、けいこの成果を披露しようとするのですが、下手な語りを敬遠されて誰ひとり寄り付かない。腹を立てた旦那は「義太夫の人情もわからない店子は立ち退け、奉公人には暇を出す」と宣告し、泡を食った店子が駆け付ける騒動です。 義太夫は竹本義太夫(一六五一―一七一四年)が語り始めた浄瑠璃で、太棹(ふとざお)の三味線の演奏で語ります。この義太夫で人形を遣う芝居が能・歌舞伎と並ぶ日本の代表的な古典芸能の文楽です。大阪で生まれ、情を大切にする浪花の気風にはぐくまれた文楽が、ここ数年、東京公演で大入りの人気を博していて、二〇〇三年にはユネスコから無形文化遺産の指定を受けました。 心中や姦通(かんつう)、壮絶な殺戮(さつりく)も珍しくない愛と死の物語を、文楽人形は生身の人間にはないクールな美しさで巧みに演じます。物言わぬ人形は、全身全霊を注いで語る大夫と、三味線の奥深い音によって命を吹き込まれるのです。 「寝床」の旦那のように、義太夫を習う人は少なくなりましたが、プロの義太夫を鑑賞する「素浄瑠璃の会」には熱心なお客さまが健在です。義太夫びいきの方たちは、芝居に行くことを「文楽を聴きに行く」と言います。 しかし、初めて義太夫を耳にする人は、迫力満点の独特な節回しと、難解な詞章に戸惑うことと思います。 文楽の写真を撮り始めた二十年ほど前、人形遣いの名人、吉田玉男師(人間国宝)から「人形の顔ばかり見ないで、義太夫をよく聴くことやな」という教えを受けました。古文が苦手で、漢字判読力も乏しい私には腰の引ける課題でしたが、撮影のたびに集中して耳を傾けるうちに、江戸時代に創つくられた物語の喜怒哀楽が身近なことのように迫ってくるから不思議です。 文楽のプログラムには床ゆか本ほんという義太夫の詞章を記した小冊子が付いて、床本を読みながら観劇している方は少なくありません。薄暗い客席で小さな活字を追うのは実に難儀なことです。そこで、提案されたのが義太夫の詞章を「字幕表示」する方法です。すでに文楽鑑賞教室で試行され、大阪文楽劇場は一月の本興行から舞台正面の上に字幕が表示されるようになりました。東京の国立劇場は、二月公演から左右の壁に詞章が投影されます。 二年間の大改装を経て再開場したミラノのスカラ座でも、字幕表示が始まったそうです。劇場視察から帰国した舞台監督に写真を見せてもらいましたが、椅子の背もたれの裏に横長の細い字幕表示版が埋め込まれていて、イタリア語と英語の選択もできるそうです。 文楽もオペラもドラマを聴く芸術なので、音声のガイドよりも字幕表示は親切な手引きになると思います。文楽に続き能楽の世界でも、字幕表示が検討されているようです。スカラ座のような能楽堂が誕生する日も近いのではないでしょうか。 (上毛新聞 2005年2月21日掲載) |