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◎地名に残す多様性を わが地域ではめでたく合併の日取りも決まり、住所表示も太田市以外、新田町、尾島町、薮塚本町は変わることになった。 とくに尾島町と薮塚本町が跡形もなく消え、大字○○はすべて○○町となる。しかし、新田町の新田だけはかろうじて残された。 例えば新田町大字木崎○○番地の場合、新しい住所表記は太田市新田木崎町○○番地に変わる。ここで問題になってくるのは、大字名が市野井、市野倉、市の場合だ。規定通りに表記すれば、市野井の場合、太田市新田市野井町○○番地となり、「オオタシ、ニッタシ、ノイ…」と思わず読んでしまう。 上州の言葉を四半世紀にわたり研究している一人としては、思わず考え込んでしまった。 恐らく、と思ってみる。これらはすべからく太田市の住所表示に倣ってのものなのだろう、ということ。自身の住む所は太田市新島町である。このような表示の仕方に皆右へ倣いをしたのだろう。 合併するのだから、住所表示も皆一律に、という考え方は分かる。そのほうが効率的だし、画一化されて便利であることは確かである。 しかし、それはそうなのだが、個人的には、地名はなるべく変えないほうがよい、と思っている。新田町大字市野井の場合なら、太田市を頭に付けて大字を取るだけでいいのではないかと考える。 つまり、太田市新田町市野井という表記になる。 なぜ、このようなことにこだわるかと言えば、上州においては「言いやすい」ということが上州弁の大きな特徴になっており、それは、もはや上州の文化そのものだとの気持ちが強くあるからにほかならない。 「言いやすい」は上州弁なら「イーヤシー」である。「言いやすい」より「イーヤシー」のほうが言いやすいし、「蛙(かえる)」は「ケール」、「容易ではない」は「ヨイジャナイ」、時代劇的古いせりふ「案ずることはない」は「アンジャーネー」など、数え出していくと数限りなく出てくるので「ナンナンダガナ」(どうしてなの?)などと、つい思ってしまうほどだ。 地声で野太く発音され、ぶっきらぼうで泥臭く、リズミカルに強く響く上州弁ではあるけれど、そこには、上州人の体臭を彷彿(ほうふつ)とさせるストレートであっけらかんとしたユーモアが感じられるし、豊かなイントネーションも上州人の豊かな感性を息づかせている。 従って、ここでの選択肢は画一化された効率化をとるか、歴史や文化を地名に残す多様化をとるか、との問題になる。 「まっさか言いずれー住所ンなっちゃって、ヨイジャーねんさね」 ということにならないように、ここは智恵の出しどころである。 「さーてね。どーこにオッパナシちゃったんだがな、尾島も薮塚もいつの間にかメッカンなくなっちゃってさ」 ということにならないように、祈るのみ。 (上毛新聞 2005年2月1日掲載) |