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◎自ら育む意義見いだす ミラノ国際空港に着いて、国内線に乗り換える。外灯がまどろんで青白く光り、三月の雨が一層冷たく見える。本当にここでいいのかと思うくらい、トリエステ行きの待合ロビーはひっそりとしていた。加えて夜遅く着いた飛行場は、ゲートを出るとすぐ外に出てしまうほど小さく、かつ外は真っ暗だった。驚きと心細さのなか、何とかタクシーを見つけて、車のライトを頼りに三十分ほど走り、ようやくトリエステの市街に入ることができた。 数年前、第一回エコ・メッセ・イン・トリエステで日本におけるエコ建築の講演依頼を受けた。芸術の都フィレンツェ、ローマに比すれば、トリエステは見所に乏しく地味な町なのに、それでもなぜか心に染みるものがあるのは、異国で初めて講演の仕事をしたことよりも、町との出合いが強烈だったためなのか。 その後しばらくして、須賀敦子さんの著作と出合った。タイトルは『トリエステの坂道』。須賀さんが、というよりは結婚後間もなくして亡くなった夫ペッピーノが愛した詩人、ウンベルト・サバの故郷トリエステを訪ねたときの思い出をつづったエッセーである。夫と一緒に読んだサバの町を体験することは、亡き夫に思いを寄せることでもあったに違いない。何より著者が偶然、私と同じような心境をいだいて、トリエステ入りしていることに、親近感をもったのである。 イタリア北東部に位置するトリエステは、かつてはオーストリア・ハンガリー帝国の軍港の町として栄えたが、第一次大戦後、念願かなってイタリアに帰属するとともに、皮肉にも港町としての価値を失い、今日クロアチアとの国境に接する町として、かつての栄華の余韻を残すのみである。町の中心部は、十九世紀ウィーンの建築家により荘厳であるが、あこがれと憎しみの感情が同居するなか、二つの文化がせめぎ合っているように見える。 須賀さんは、ハイネの詩とペトラルカの様式を揺れ動き、フロイトに傾倒したサバの生き様に触れつつ、非西欧人としてのかつての若き自分が、西洋文化と出合い、個人の声をはっきり発する個人主義の世界に直面して苦悩したことを重ね合わせ、二つの世界を生きることの居心地の悪さと、それでもそこに「私」を育はぐくむことの意義を見いだすのである。AかBではなく、AもBも必要である、と。 私たちはつい物事に白黒をつけたがるし、また、どちらにも分類できないものを排除する傾向にある。しかし、静と動、内と外…これら対極の間に内なるものは生き、活動するのだろう。 帰国当日、私は町を散策し、何げなく入った古書店で大判の美術書を購入した。洞くつのように奥が広く、天井まで本が積まれていた、その本屋は実は、サバが生涯の長い時間を過ごした場所であり、「二つの世界の書店」と命名されていたそうである。 (上毛新聞 2005年1月24日掲載) |