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文芸評論家・筑波大学教授 黒古 一夫さん(前橋市粕川町)

【略歴】法政大大学院博士課程修了。92年から図書館情報大(現筑波大)に勤務。大学院在学中から文芸評論の世界に入る。著書、編著多数。

ベトナムから日本見る


◎何かが壊れつつある

 知り合いの作家や評論家で組織された平和友好団に、メンバーが足りないからと誘われて、ベトナム(ベトナム社会主義共和国)を初めて訪れたのが二〇〇二年の四月末から五月にかけての十日間。六〇年代末から七〇年代初めの「政治の季節=ベトナム反戦運動・全共闘運動」に学生時代を送った私は、ベトナムへはいつか行ってみたいと思っていたのだが、同じ年の八月と昨年の十一月と、正直言って続けて三度も行くとは想像もしていなかった。

 最初のときは、ハノイからホーチミン(旧サイゴン)まで、市内見学のほかにホーチミン廟(びょう)や戦跡博物館、解放闘争を象徴するクチトンネル、あるいは枯れ葉剤(ダイオキシン)の被害者を収容している友好村(アメリカやフランス、イギリス、日本などの援助で作られた授産施設)等、ベトナム戦争にかかわる戦跡や施設を見て回った。しかし、何が起こるか分からないのが人の世の常で、そのとき渡した「図書館情報大学教授」(当時)の名刺がきっかけで、連続して同じ国へ旅することになってしまったのである。

 世間ではベトナムが静かな「ブーム」になっているとのことであるが、私の旅はそれとは関係なく、名刺が縁で勤務先の筑波大学図書館情報メディア研究科(大学院)とベトナム国立図書館とが「学術交流協定」を結び、その準備やら事後処理やで担当を命じられた私がベトナムへの旅を重ねることになったのである。

 さて、主にベトナム国立図書館(日本の国会図書館に相当する)との打ち合わせや県立・市立・村立の公共図書館を見学した二、三回目のベトナムへの旅についてであるが、いろいろな意味で「先進国・日本」について考えさせられることが多かった。中でも一番は、どのレベルの図書館へ行っても蔵書が少ないにもかかわらず館内は利用者であふれ、どの本も四角が丸くなるほど利用されていることを知ったことである。

 家庭や学校、地域に本が豊富に存在する日本だが、これほど熱心に本を読んでいるだろうか。大学生と研究者しか利用できない国立図書館では、連日開館前から何十人もの人が門の前に並び、一時間もすればどの部屋も熱心にノートを取る人で埋まってしまう現実を目の当たりにしたが、「豊かな国・日本」の学生たちのことを思い、複雑な気持ちにさせられた。

 昨年暮れ、OECD(経済協力開発機構)等による「学力」調査の結果が発表され、日本の小・中学生の「学力」低下が話題になったが、大学教師として思い当たる節がないわけではない。歴史や世界に対する関心(好奇心)や言葉(日本語)を大切にする、物事を深く考えるという点などにおいて、確かに日本の若者はその能力が劣ってきているのではないかと思う場面に時々遭遇する。

 私たち古い世代の責任も思うが、「豊かさ」を享受しているこの日本の根源で何かが壊れつつあるのではないか、と思わざるを得ない。これが「杞き憂ゆう」「危き惧ぐ」で終わってくれれば、それに越したことはないのだが…。

(上毛新聞 2005年1月17日掲載)