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中小企業診断協会県支部副支部長 森山 亨さん(桐生市堤町)

【略歴】早稲田大法学部卒。大和紡績マーケティング部長、桐生地域地場産業振興センター専務理事などを歴任。国、県などの各種懇談会、審議会で委員を務める。

ゆとり教育と学力低下


◎能力を育てる仕組みを

 今の学校教育の実情は部外者には分かりにくいことが少なくない。

 新学習指導要領の目玉と思われる「ゆとり教育」についても「ゆとり教育の影響で学力が低下し、分数もできない大学生が増えている」「ゆとり教育で授業時間が足りず夏休みを縮めて補う」などの批判がある一方で、文部科学省は最近まで、ゆとり教育で「日本の子供の学力は世界のトップレベル」にあると自賛していた。

 事実、一九九九年の国際学力比較調査では日本の成績は上位に位置していたし、授業時間数もイタリアの八割、アメリカの九割と短い。

 しかし、昨年末発表された国際的な二つの学習到達度調査では日本の成績は急落し、文科省は一転してもはや「世界のトップレベルとはいえない」と深刻に受け止めているようだ。

 なぜこうなったのか知る由もないし、この成績が果たして低いといえるのか、人生には知識より大事なものがあるはずとも思うが、豊かな環境に育って生きる目的も勉強の必要性も感じない子供たちに、ゆとり時間を増やせばこうなるのは当り前ではないだろうか。

 しかし、詰め込み教育を減らし、ゆとり時間を増やして「自ら課題を見付け、自ら学び、考え、主体的に判断し、行動し、問題解決の能力を育て、自己の生き方を考えることができるようにする」ために「自然体験やボランティア活動などの体験」を積極的に取り入れ、健全な社会人を育てようとする新学習指導要領の精神は決して間違っていないと思う。

 問題は、誰がゆとり教育を行うかだ。その中核は教師であり学校なのは分かるが、同時に地域社会の参加が不可欠である。しかし、果たしてこうした要請の受け皿となる社会環境がどこまで整っているのか、またそれぞれの分担をどうするのかも分かっていないのが現状だ。

 この点、欧米の健全な家庭では、子供を想像以上に厳しくしつけているし、教会や地域には社会の一員に必要な自活力やマナーを修得させる習慣やシステムが伝統的に整っている。

 日本でも敗戦までは、子供たちは家業や家事の手伝いや地域の行事への参加、集団での遊びや自然体験を通して、無意識のうちに生きる知恵、社会のおきてやしつけ、思いやりの心が身につくようになっていたものだ。しかも、こうした情報は体験を通して身につくので、授業よりはるかに心の奥深くに刻まれて、その後の人生に大きく役立ったものだ。

 現在、既に多くの学校で地域に開かれた学校を目指しているが、教育は国の基幹にかかわる大事である以上、家庭、学校、地域、行政が分担を決め、協力して子供のゆとり時間を有効に生かすためのソフトインフラを整備し、子供の本来の能力を引き出し育てる仕組みを築くことが急務である。知識教育の重要性を決して否定するものではないが、ゆとり教育のノウハウの確立や環境整備もしないまま、学力低下の元凶と見るのは本末転倒である。

(上毛新聞 2005年1月14日掲載)