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◎自然との触れ合いが鍵 日本にスキースポーツが伝でん播ぱされたのは明治四十四年、今から九十三年前のことである。以来、激動の時代を経るなかで、わが国のスキー人口は増加の一途をたどり、最盛期には二千数百万人にも達する一方で、その潜在人口が四千万人余と当時のレジャー白書に報告されている。 その輝かしいスキーの発展もバブルの崩壊とともにスキーヤーの減少傾向が続き、今やかつての隆盛は神話のごとき存在となった。スキー関連産業は極めて深刻な状況にあるが、ここにきて関連する機関や業種で反省に立った改革の動きが見られる。 例えば、スキー場への交通機関であるJR各社や、JAL、ANAといった航空各社、さらにJTB、日本旅行といった大手旅行会社が受け入れ側の地元スキー場関連施設などと連携したサービスの充実に取り組んでいる。立ち上げたのは「JAPAN SNOW PROJECT」で、ウインター・スポーツを愛好するすべての人々をとことん応援する意気込みが感じられる。 これを機に、私たちスノー・スポーツを愛する者は、その中で最も歴史あるスキースポーツの本質とも言うべき真の価値観を再確認し、いかにそれを享受することに意義があるか、もう一度、先人の言葉をかみしめてみたい。 雪の山野を狩猟民族が速やかに移動する手段として考え、作り出したスキーのころまでさかのぼると、四、五千年もの歴史があるが、スポーツとしてのスキーは一八六○年以降である。ノルウェー王室がスキーの勝者に賞を与えるようになってからである。 さらにスキーが広く国際的に認知され、普及する動機となったのは、ノルウェーの極地探検家、フリチョフ・ナンセンだった。彼は一八八八年から八九年にかけて、グリーンランドをスキーを使って横断。その快挙が全世界に報道された。また、九五年には北極点への旅を続け、人類未到の北緯八六度一四分に到達した。 彼は著書にこう書いている。「もし、あらゆるスポーツの中で、その王者に値するものがあるとすれば、スキーをおいてほかにない」。スキーほど筋肉を鍛え、身体をしなやかにし、注意力を高め、巧こう緻ち性を養い、心をそう快にするスポーツはほかにないというもので、彼の影響を受けてスキーに興味を覚えた当時のヨーロッパ人は少なくなかったという。 中でもオーストリアのマティアス・ツダルスキーは、早速ノルウェーからスキー用具一式を取り寄せ、一人山小屋にこもり、七年間にわたってスキーの研究に取り組んだ。一八九六年に世界で最初の「山岳(アルペン)スキー術」を発表するとともに、山岳地用のスキー用具を考案した。近代アルペンスキーの礎を築いたパイオニアで、八十四年の生涯をスキーに捧げ、「人間の幸福は、自然の中にこそある」という言葉を残した。 今こそ、スノースポーツを愛する人々が共有する「自然との触れ合い」を通じ、それぞれの体力、技術、志向に応じて楽しむことが言葉の真意を解く鍵につながるのではなかろうか。 (上毛新聞 2004年12月29日掲載) |