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弁元東海大学医学部小児外科学教授 横山 清七さん(神奈川県茅ケ崎市)

【略歴】富岡市出身。新島学園高、慶応大医学部卒。第19回日本小児がん学会長。現在、病気とたたかう子どもたちに夢のキャンプを創る会会長、大磯幸寿苑施設長。

がん告知と治療医


◎患者の心を癒やしたい

 外科医が、がんの診断を受けたとき、どういう反応をするだろうか。この何となく持っていた疑問に、自ら答えを出すことになってしまった。

 十数年来、全結腸型潰かい瘍よう性大腸炎と診断されていた。繰り返す腹痛、下痢、血便の症状は良くなったり、悪くなったりを繰り返しながらも、次第に軽快し、最近の数年間は便通の回数も減り、貧血もなく、無治療で良好な経過であった。もちろん、六十歳の全結腸型潰瘍性大腸炎といえば、結腸(大腸)がん発生のhighrisk(危険率が高い)であることは承知していたのであるが、何となく、もう治ってきているので大丈夫だろうと、検査も受けずに放置していた。

 六十三歳の三月、軽井沢へスキーに行ったとき、腹痛、蠕動亢進(ぜんどうこうしん)(腸の動きが激しくなること)という腸管狭窄(きょうさく)症状があり、帰ってすぐにバリウム注腸造影検査を受けた。

 その結果、大腸全体が細くなり、直腸に隆起性病変が発見された。大腸ファイバー(内視鏡)によるバイオプシー(生検=病変の一部を小さく切除して病理組織の顕微鏡検査を行う)の結果は直腸がん。大腸全摘手術が必要であると告知された。

 これに対する僕の反応は「自分だけは大丈夫だろう」であった。

 術前検査として肝エコー(超音波検査)、胸腹部CTスキャン、心電図、血液検査などが立て続けに行われたが、この間、軽度の興奮状態で頻脈(心臓がドキドキする)の状態であった。入院し、十時間に及ぶ大手術を受けた。

 術後数日で病理組織診断の最終結果が判明した。Duke’sB(大腸がんの病期で A=早期がん、B=中間、C=進行がん)、リンパ節転移なし、肝転移なし、五年生存率80%―とのこと。「やはり自分だけは大丈夫だった」とホッとしたのである。しかし、もし肝転移があったと告知されたら、どう反応したのだろうか。恐らく絶望のあまり、どうしようもなくなっていたに違いない。抗がん剤にいちるの望みを託すのであろうが…。

 早期がんの場合は問題ないが、末期がんを告知することの是非が問われている。

 弟は食道がんの肝転移と告知された後、三カ月で逝ってしまったのであるが、彼はこの間、一言も泣き言を言わなかった。いちるの望みはあったのだろうか。信仰の厚かった彼だからこそ、予測された死を受け入れることができたのだろうと思う。

 では、信仰のない人の場合はどうすべきか。短いと予測される余命を精いっぱい生きるためには末期がんといえども、やはり、告知すべきであるし、がん治療医は、その大切な務めとして「病を治すだけではなく、患者の心を癒やす」ということを心すべきである。

(上毛新聞 2004年12月14日掲載)