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◎生命感を持つ詩的才能 麓(ふもと)惣介さんは、忘れられた詩人である。忘れられた詩人というよりは、知られなかった詩人である。本人が知られることを望んでいなかった気がする。有名になることを拒否していたからである。つぶやきの人であり、伏し目がちの詩人であり、含羞(がんしゅう)の人であった。 かつて、丸谷才一さんが文芸時評で詩人・天野忠について、これほどの詩人を知らなかったことを私は恥じた、と紹介したことがあるが…。麓惣介さんを知らなかったことを僕たちは恥じることになるだろう。群馬に、前橋の青柳町に住んでいたことがある詩人のことを。 今日、忘れようにも忘れられない詩人として知れば知るほど、その大きさ、天性の詩人の印象が強くなってくるのだ。詩人の亡き後、群馬高専のかつての同僚、岡上登喜男さんの努力によって遺稿集が十一冊も刊行されている。 「詩集・花は流るゝ」「詩集・ふるさとびとに」「詩集・おるごる」「詩画集・あの山越えて」、牧歌「もなみーにの秋」、それに「牧歌」資料が詩選・小説選・評論選・補遺選の四冊にもなり、牧歌だけでも圧巻である。詩人が愛読したアンソロジーとなっている。以後続刊される予定。手作りで、これぞ本なり、詩集なりと、思わず声を出したいような温かさがそこにある。本作りの、編集者の、出版の原点がある。 岡上さんの編集は、詩人の意思を尊重し、詩人が思い描いたであろう以上の完璧(かんぺき)さである。詩人の背景にある詩的、文学的経歴を大学時代の論文・研究紀要からも、小さな同人雑誌や、中学校誌まであたり、これ以上望めないと思われるまでに調べ尽くしている。まるで詩人が乗り移っているかのようだ。 この遺稿集によって、詩人・麓惣介の人間像が、幼年期の家庭環境から、郷土の自然から、どのようにして詩人的資質を育(はぐく)んだのかが浮かび上がってくる。年譜と資料が血管となって結びつき、詩的才能が生命感を持ち、説得力がある。 岡上さんの解題は、詩人の年譜資料を超えて文学的な意味さえ持ってくる。 落日を むねに いれて こころの 枯野を 焼く この詩は二百部限定私家版で一九七九年に前橋の友人たちの手によって刊行された詩画集「黄昏(たそがれ)の壁」の表紙で、文字は、黄昏の香りが漂うセピア色で印刷されている。この表紙を見ただけでも詩人の顔が見えてくるようだ。この愛のごとき恍惚(こうこつ)のイメージを包含している書物を開くと、ぞくっとするような感触が伝わってくる。 (上毛新聞 2004年12月11日掲載) |