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◎いまや最も必要では この六月、実母が亡くなった。三年ほど前に、血液のがんといわれる悪性リンパ腫しゅを患い、その後、快復したものの昨年暮れに再発し、半年足らずの闘病の後、旅立った。七十七歳だった。 何事にも我慢強かった母は、抗がん剤治療による闘病中、何一つ泣き言を言わなかった。末期状態となったときも、何も言わなかった。 「相当つらいはずなのに、私たちが『苦しいことはありませんか』と聞くと、必ず『大丈夫』と言ってくれて。その辛抱強さに驚きました」と、主治医が話してくれたほどだった。 そんな母がひとつだけはっきりと意思表示したのが、「家に帰りたい」だった。母の願いはかなえられ、一日外出できた。 約五カ月ぶりに自宅に戻った母はうれしそうだった。すでに口からは何も取ることができない状態だったのに、孫の介添えでお茶をすすり、私が差し出すメロン果汁を「ああ、おいしい」といって飲んでくれた。 家族水入らずで過ごした後、再び病院に戻った母は、「思ったより疲れなかった」と話すなど、調子は悪くなかった。しかし、その日から五日後、母は帰らぬ人となった。 私たちに残されたのは「あれで良かったのか」との思いだ。一日だけ帰宅できたものの、本当は人生の最後を家で過ごしたかったのではなかったか。母親自身が医師からの説明を受けて決めた抗がん剤治療だったが、効果が期待できなくなった後も、その治療を続けることに意味があったのだろうか等々…。 かつて私には、養母(母の実姉)が交通事故に遭い、植物状態一歩手前の状態から奇跡的に回復したにもかかわらず、思いがけない形で死別した経験があった。養母の意思を何一つ確認できないままの別れだった。その体験から終末期医療の周辺を取材、拙著『沈黙のかなたから』を書いた。同書のなかで、日本尊厳死協会の「尊厳死の宣言書(リビング・ウィル)」、終末期を考える市民の会の「終末期宣言書」など、終末期に受けたい医療等を事前に文書で指定する方法を紹介した。 私自身は、「終末期宣言書」を書いてある。簡単に紹介すると、(1)終末の状態であると診断されたとき、および植物状態が続いたときは「延命措置を断る」(2)死が不可避であり、意識がある場合は「苦痛を取り除く措置をできる限り実施。そのため死ぬ時期が早まってもかまわない」(3)「病名をありのまま告げてほしい」。このほか(4)最期の場所(自宅や病院など)の指定(5)臓器提供をするかしないか―を決め、代理人にも託してある。 自分は書いたが、母には勧めなかった。文書化しなくても、私が母の意思を聞いておけばいいと思い、実際そうした。しかし、現実は予想と違った形でやってくる。結果、「これで良かったのだろうか」という疑問がくすぶっている。 自身の終末期の希望を明示することはタブーではなく、いまや最も必要なことではないか。二人の母を失って、今あらためてそう思っている。 (上毛新聞 2004年12月8日掲載) |