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◎言葉は素晴らしい財産 太古の昔より、言葉は人間にとってお互いの意思を伝えるための重要な役割を果たしてきました。幼少時代から、日本とブラジルを行き来していた私は、言葉が原因でコンプレックスを感じることが幾度もありましたが、その一つ一つを克服することにより、自信を持つことができました。 私は七歳から親元を離れ、十二歳まで日本で暮らしました。その後、ブラジルへ戻りましたが、そこで私を待っていたのは、大きな言葉の壁でした。その壁を取り除くまでに二年半の月日を必要としました。もちろん、私一人でそれを克服するのは無理でした。家族をはじめ、学校の先生、学友たちがとても親身に手伝ってくれたのです。 ブラジルの学校では、転校生に対し学校全体でフォローしてくれます。担任だけではなく、すべての先生が声をかけてくれ、授業後の勉強も見てくださいました。不安な気持ちでいっぱいだった私の心も、少しずつほぐれていったのを覚えています。 高校卒業後、私はブラジルに住むことよりも、日本に戻ろうと心に決めていました。ブラジルではぐくまれた大陸的なおおらかさが、私に失敗を恐れず、駄目なら次にどうするか、という前向きな考えを持てるようにしてくれたのですが、日本に帰った私に再び言葉の壁が立ちふさがりました。そのことで、ブラジルでブラジル人に対等に向き合えず、日本で日本人に対等に向き合えずにいた私は、コンプレックスの塊でした。 東京でいろいろな仕事で経験を積んでいた私は、日本に帰っていた両親の住む大泉町に来たとき、初めて自分を必要としてくれる場所があることを知りました。日本語とポルトガル語を話せ、書けることにより、私の世界は大きく広がったのです。日本人とブラジル人たちの間に輪が広がり、両国の間に立ち、懸け橋となってお役に立ちたいと考えています。 日本とブラジル、両国の良い面も、悪い面も知ることにより、私にとって何ができるのだろうと考えたとき、次世代を担う子供たちを育てることにかかわっていきたい、と考えるようになりました。そんな時、母から学園の運営を任され、不安はあるものの、やってみなければ分からないと、未知の世界へ踏み込むことにしました。 戸惑いばかりの毎日で、学園の先生、生徒、そして学園外の方々と触れ合い、多くのことを学ばせていただいておりますが、そんな中でずっと信念として私が持ち続けている思いは、学園の子供たちにはぜひ、日本語とポルトガル語の両国語をマスターしてもらいたいということです。二カ国語、三カ国語を話せることがどれだけ自分にとって素晴らしい財産であり、社会に出たときに“武器”になるかということを、子供たちに伝えていくことが私の夢です。 (上毛新聞 2004年11月23日掲載) |