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群馬大学大学院工学研究科教授 大澤 研二さん(桐生市相生町)

【略歴】岡山大理学部卒。名古屋大大学院博士課程単位取得。理学博士。同大学院助教授、科学技術振興事業団などを経て昨年4月から現職。愛知県出身。

大学教育の本質


◎自ら学び考える場に

 国立大学が法人化され、それぞれに独自色を出すことが重要といわれている。研究は本来独自のものだから、ことさら強調する必要はないが、教育はそうもいかない。これまでのやり方を見直しつつ、新しい方向性を見いだしていく必要があるだろう。

 独自性を主張するためには、ほかにはないやり方を採り入れるのが一つの方法である。そのために新規の手法を導入することが考えられるが、一方でニーズに応えることも重視されているようだ。社会のニーズ、学生のニーズといわれるものだが、対象によってさまざまに変わり、これという切り札はない。また、ニーズについて論じる場では必ずといっていいほど、時代の変遷が引き合いに出される。時代の移り変わりとともに、必要となるものも変化するということなのだろう。

 この辺りの議論はいかにも妥当なものに見えるし、教育機関としての大学の存在を主張するためには重要な事柄として扱われる。しかし、身に付けるべき知識は学問の進歩とともに変化するとしても、本来、大学で学ぶべきことの多くは、時代が変わっても大して変化していないことも重視すべきではないだろうか。

 確かに多くの人々が大学に進学するようになり、学生を取り巻く環境にも変化が出ている。しかし、高等教育の場で最も重視されるべき「自ら学び、自ら考える」という基本には何も変化が起きていない。大学生には入学までの受け身の学習から、自ら積極的に働きかける学習への転換が要求されるべきであり、それを実践する場として大学の存在意義があるのではないだろうか。

 確固たる目標を定めて、その達成のために必要な事柄を学ぶだけでなく、課題の取り組み方、物事の考え方という、これといった形のないものについても身に付ける必要がある。

 ここで問題となるのは、学生に対する要求が定まったとしても、それを実現させるための方策があるのか、ということである。経験的にしか言えないが、こうすればよいという手法はなさそうである。それよりも、まず大切なことは転換の必要性を実感させることではないか。それにより、自分の中や外にあるものに対する見方に変化が生じ、そこからすべてが始まる。その過程を経て初めて、「自ら学び、自ら考える」ための準備が整うだろう。

 目標を達成するための知識を授けることや、ある勉強法を教えることは難しくはないが、自分独自の手法を開発させることや、それを促すことは簡単ではない。自分の経験に基づいた働きかけを通じて、学生たちの内なる力を目覚めさせるしかないからである。

 私は大学院担当として赴任したが、幸いにも学部教育にも携わることができた。まずは身近なところから始め、それを徐々に広げていく努力をしてみようと思う。ニーズとは異なるかもしれないが、本質的なものを広めるために、隗かいより始めよということだ。

(上毛新聞 2004年11月17日掲載)