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◎肉体と大脳刺激は両輪 古代ギリシャのアリストテレスという哲学者は、散歩をしながら門弟たちと学問を論じたと伝えられている。アリストテレスの一派をペリパトス学派と呼ぶ。ペリパトスとは散歩を意味する古代ギリシャ語である。日本では逍遙(しょうよう)学派と訳されている。 私が通った高崎市北小学校の校庭に、薪(まき)の束を背負って歩きながら本を読んでいる少年の石像が立っていた。二宮尊徳という江戸時代の篤農家で、幼名を金次郎といった。 松尾芭蕉という江戸時代の俳人は、日本各地の旅をしながら俳句を詠んだ。芭蕉といえば、反射的に旅を連想する。古代ギリシャにも、江戸時代の日本にも、歩きながら勉強をする人がいた。 知的能力とスポーツを対立概念と見なして別個に論じる人が多い。しかし、大脳は身体の一部であり、身体も大脳の一部と見なせば、知能とスポーツは表裏一体の関係にある。ゆえに、優秀なスポーツ選手は頭のよい人と定義できる。従って、身体を動かしながら勉強もしたアリストテレスや二宮尊徳、松尾芭蕉の行動様式は理にかなっている。 人間のさまざまな運動能力の中で、若いうちから早々と衰え始める機能もあるが、高齢になっても持続するのは歩く動作である。九十歳代で富士山に登ったなどという話もよく耳にする。自分の足で自分の身体を移動させるのは極めて平凡で、単純だから日ごろは全く意識しない。しかし、歩けない場合を想定すれば、誰でも容易に理解できる。が、実は補助なしで自分の実力だけで歩けるのは、人生最大の幸福である。 私の妻が所属している高崎シンフォニーロータリークラブには、会員有志で組織している登山愛好サークルがある。私は部外者だが、仲間に入れてもらって山路の散策を楽しんでいる。私は我流の方法論で毎日自宅で筋力トレーニングを実践しており、真冬でも一日に一回は汗びっしょりになる生活習慣が身に着いている。登山に必要な脚力や心肺機能の維持が主たる目的である。 私はある月刊の郷土文化誌や、私の所属している医師会の機関誌の連載随筆欄を担当して、毎月定期的に拙文を寄稿している。また、時事川柳をひねる趣味もあり、上毛新聞の川柳欄に駄句が何度も掲載されている。登山のような肉体刺激と、文章をつづる大脳刺激は車の両輪のような関係にある。 ブレーズ・パスカルというフランスの哲学者が「人間は一本の葦(あし)に過ぎない。しかしそれは考える葦である」という言葉を残している。人間は足で歩き、頭で考える動物である。人生の最後まで健全であってほしい身体機能を二つ挙げよと言われたら、迷わずに「足と頭」と答えるつもりである。最後にアリストテレスやパスカルを参考にして「人間は考える足である」と定義してみたい。駄だ洒じゃ落れのような結末になってしまったが悪あしからず。 (上毛新聞 2004年11月1日掲載) |