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◎協働の領域確立すべき まちづくりという言葉が一般化したのはここ数十年ですが、日本の近代化の歴史の中では長い間、行政主導により基盤整備等が行われてきたため、市民の主体者としての意識は薄れ、各種事業を実施する行政と、してもらう市民といった構図の中で、まちづくり的な事業の展開がなされてきました。 しかしこの十数年来、中央集権的で補助金依存型の事業展開の限界や、国家的な財政破たんの危機が指摘される中で、地方の自立や地方分権が議論され、主体者としての市民の意識の在り方が大きく問われるようになりました。とはいえ、何らかのきっかけがなくしては意識を変えることは難しく、行政の仕掛けによるさまざまな意識づくりのためのまちづくりワークショップ等が企画されるようになりました。 私が住む伊勢崎市では平成九年から「まちづくり市民広場」が開催され、広くまちづくり等に関心を持つ市民の発掘と市民意識の醸成が模索され、さらに具体的な計画策定にかかわる試みとして、「都市計画マスタープラン市民懇談会」が開催され、年度で無理やり終わらせることなく、議論を尽くし、その成果は市民向けの発表会という形で市民に投げかけられました。 さらに平成十三年からは、市民の声を直接市政へ反映させることを目的に「伊勢崎21市民会議」が開催され、さまざまな市民が結集。自分たちが住む地域の在り方を自ら考え、政策への提言を通して、新たな公共の仕組みの中での役割を実感できた市民も多かったのではないかと思われます。 また、私が参加した会議の提言を一つのきっかけとして、都市計画決定された道路整備や区画整理の計画が抜本的に見直されることとなり、その代替案としてのマスタープランもワークショップという形で市民による素案がまとめられ、地域住民へ投げかけられました。 このような伊勢崎市での動きは今、各地で模索されているまちづくりの仕組みづくりに関する動向を写し込んだものといえます。市民意識の啓発に始まり、受動的な市民参加からさらに主体的な協働による計画づくり、提案へと、成熟した市民社会の実現へ向け、次第にその仕組みも成熟してきていると思われます。 現実的には各地域における認識度はさまざまですが、そのような現場にたびたび身を置く中で感じることは、自分たちの次の世代の子供たちが生き生きと暮らせる地域社会を育はぐくむことができるか否かが、私たち一人一人の発意と行動にかかっています。さらに、行政と自立を目指す市民とで信頼と評価による協働の領域を確立することが、今まさにまちづくりの現場において求められているということです。 そのためには現行制度と現場のギャップを乗り越えるための変革も必要でしょうが、大勢に流されることなく、今本当に必要なもの、大切なものを見極める力が、行政と市民の一人ひとりに問われているのではないでしょうか。 (上毛新聞 2004年10月26日掲載) |