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フランク英仏学院副学院長 フランク佳代子さん(前橋市小相木町)

【略歴】早稲田大卒。日本レールリキード社、在東京コンゴ大使館勤務を経て、仏・米に留学。米カレッジオブマリン卒。1978年に帰国。翌年、夫とともにフランク英仏学院を創設。同学院副院長。

若者たちへ


◎掘り返そう和の世界

 「日本人は何と自然を愛する人達だろう。自然の美を取り入れるのが実に巧みだ。多くの物を必要とせず、争いもなく…静かで幸せな生活を営む術(すべ)をよく知っている」。明治九年、フランスから訪れたエミール・ギメの「日本散歩記」の一節である。彼は後にパリにギメ東洋博物館を創設した人だが、感激にあふれ、こうも記す。「僕は夢の国でこれを書いている。魅惑の連続…何もかも素晴らしい」。しかし、そのころを境に日本人は急速に西洋化の轍てつを早め、自らの文化を捨てていった。

 第二次大戦後も同じパターンで、アメリカ人の生活の豊かさにあこがれて、少しでも近付こうと一心不乱に働き、わずか三十年で経済大国を築き上げた。近代的な建築、瀟洒(しょうしゃ)な店々、格好のいい女性たち。今、青山や銀座を歩くと、パリよりもニューヨークよりもオシャレで、ここは世界で一番豊かな町だと思う。しかし、誰もが同じような格好をし、何となく冷たくせわしなく、輝いた瞳やぬくもりのある笑顔に出会うことはない。「静かで幸せな生活」のにおいはどこにいってしまったのか。

 ギメが言ったように、日本人は自然を精神的な礎として生きてきた。しかし、急速に自然破壊が進んだ今、多くの人は中心のぐらついた案山子(かかし)のようになってしまったのか。

 外国に住むと、日本人である自分と向き合う機会が多くなり、日本文化の特徴や日本人の気風などにあらためて感心するようになる。私は外国語を勉強して外に出たが、“和”の習い事をしていなかったことを悔いた。外国語を話すのは当たり前のことで、それ以上の個性が必要だった。

 友達の日本人はおばあちゃん育ちのせいか、職人芸にも優れ、指圧や占いの八卦(はっけ)までできる人だった。「アイ・ダズ・フラーワーアレンジメント…」などと彼の英語はいただけなかったが、東洋的英知を備え、美しい仕事ができる人として、花の都サンフランシスコの青い目の女性にひどくもてていた。

 しかし、世界的に活躍する日本人はほかのアジア人に比べてまだまだ少ない。アメリカで大繁盛の寿司屋も中国人が多く、お琴の先生まで京都で修業したアメリカ人だったり、「芸者」というベストセラーの映画化でもヒロインは中国人に決定したとか…。おいおいお株をすっかりとられてしまうと、口惜しい思いがする。

 グローバル世界では語学力にも増して、問われるのは民族的特性だと私は思う。日本人は西洋文明の要である自由や民主主義の精神をよく消化せず、物質的表面だけを追ってきたが、経済成長が止まった今こそ、自分を振り返るときではないか。

 自分を知ると、自分に誇りが持てるようになる。私たちの祖先は、われわれの細胞に何万年もの貴重な記憶を刻みつけてきた。仏人をして「夢の国」と言わせた文化遺産も残していった。このユニークで卓越した“和”の世界をもう一度掘り返して、現代的センスで世界へと伝えていく若者がほしい。「物」から「人」を育てる時代の到来を心から願う。

(上毛新聞 2004年10月22日掲載)