視点 オピニオン21 |
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◎訴え続けよう世界平和 この夏は浪人生活一年目で“サンデー毎日”をよいことに、深夜のオリンピック中継をテレビ観戦し、大いに楽しませてもらいました。連日、日本選手のメダル獲得が報道され、それはそれでドラマがあり、感動もしました。特に勝者の笑顔が素晴らしく、日本が平和であるからこそ見られる笑顔なんだと、独り合点をしていました。オリンピックは「世界平和の祭典」なのに、一方でイラクで戦闘が続いていたからです。 民間人を巻き込む戦闘やテロの悲惨な光景が画面に映し出され、犠牲者の中には全身焼けただれた子供や、涙も出ないほどおびえ切って体の震えが止まらない子供たちの顔が、そこにありました。愚かな大人たちの仕業に、あの子たちの悲しげな目は何を訴えたかったのでしょうか。 戦争と平和の狭間で行われたオリンピックでしたが、イラク等で戦闘やテロがなかったら、どんなによかったかと複雑な気持ちでした。スポーツ精神とはお互いに競い合うことで、争うことではありません。競い合うことでお互いに成長しますが、争いはお互いを滅ぼすだけです。 日本の周辺諸国がきな臭くなり、国内も何やら騒々しくなってきました。しかし、日本は二度と戦争をしないという、世界でも唯一の平和憲法を持つ国として、誇らしい歴史を戦後六十年近くも積み重ねてきた事実があります。そして、世界で唯一の被爆国として、懸命に日本から世界へ向けて世界平和を訴え続けてきました。 この不断の努力があったからこそ、オリンピックの日本選手の活躍があり、メダリストたちのあの素晴らしい笑顔が見られるのです。この笑顔は今日の日本の平和がもたらしたものだ、といっても過言ではないでしょう。 「この若い子たちを二度と戦場へ送らせることがあってはいけません。そのときがきたら、今度こそ命をかけて阻止します」 この言葉は、世界平和を訴え続けた反戦画家、故丸木位里・俊ご夫妻が私たちの結婚披露宴でスピーチしていただいたときのものです。 私の父、聖香(二紀会彫刻家、一九八四年没、享年七十二歳)は、ご夫妻と古くから友人としてのお付き合いがありました。父が制作したご夫妻と位里先生の母、スマさんの胸像が埼玉県東松山市の原爆の図丸木美術館にあります。スマさんは丸木ご夫妻の勧めで絵を描き始め、身近な生き物など多くのほのぼのとした作品を残しています。 私が十歳ごろだったと思いますが、当時アトリエを構えていた東京・練馬のご自宅に遊びに行ったとき、スマさんから食べさせてもらった真ま桑くわ瓜うりの味は忘れられません。 ご夫妻は、原爆投下直後の広島の惨状を目のあたりにした衝撃から「原爆の図」をライフワークとして描き続け、原爆の恐ろしさ、戦争の悲惨さを日本のみならず、世界に訴え続けてきました。 ご夫妻が亡くなられて、だいぶたちますが、気のせいか私には俊先生の声が聞こえてくるのです。「今度はあなたたちが、若い子たちを戦場に取られないように、守ってあげなさい…」と。 (上毛新聞 2004年10月6日掲載) |