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◎伝統守って楽しもう 本欄の執筆も最後になりましたので、還暦野球の生いたちを記し、発祥の地としての誇りを維持したいと思います。昭和五十一年、県知事に初当選した清水一郎氏が、翌年還暦を迎えるのを契機に「六十歳になっても何かスポーツを」と提言し、県野球連盟理事長で日本軟式野球連盟副会長の笹治桂蔵氏に呼びかけて、五十四年、全国に先駆けて「前橋還暦ボーイズ」を結成しました。 結成したとはいえ、対戦相手がなく、第一戦は孫のような少女チーム、前橋中央レデイスと戦い、負けた記録があります。続いて高校の校長、教頭会のチームと練習試合を行ったそうです。その後、清水知事、笹治理事長の熱心な呼びかけに応えて、高崎、桐生、伊勢崎、太田、館林、藤岡に続々とチームが誕生し、二年後の五十六年九月に念願の県還暦野球連盟が設立されました。館林においては、渡辺利三郎現会長の肝いりで昭和四十年ごろから老人チームを組織していたようです。 その年の十月下旬、第一回県還暦野球大会を前橋警察学校グラウンドに八チームが参加して開催され、前橋還暦ボーイズの白組が優勝しました。そのときの紅組の先発投手が時の発起人、清水一郎知事であった。以来、二十三年になろうとし、今では五十八チームに増えて覇を争う発展ぶりです。当時、知事は県下七十市町村にそれぞれ一チームが誕生し、激戦の展開を望んでおられたと聞いておりましたが、現実のものとなりました。 続いて六十年の“昭和の還暦”を機に、これまた清水知事の発想で、全国組織と第一回全国還暦軟式野球大会の構想が持ち上がりました。笹治氏の組織を通じての連携も誠によく、北海道から九州まで二十六チームが参加し、この年の九月一日から四日間、前橋敷島、高崎城南、桐生球場の三カ所で開催され、大成功を収めたことは周知の通りです。 特に始球式では小寺弘之副知事(現知事)が投げた一球が絶好のストライク。まさに会心のボールで、観衆の大喝さいを浴びたそうです。初の栄冠は桐生OB野球クラブに輝き、時の中曽根康弘総理からも賞が贈られ、甲子園、神宮球場の盟友との再会など、思い出の大会であったといわれています。 これが基礎となり、本年は第二十回大会。東京を会場に六十四チームが参加し、今月二十九日から熱戦が展開される予定です。本県からは四チームが代表出場しますが、還暦野球発祥の地にふさわしい活躍を期待します。また、昨年一月に発足した関東還暦軟式野球連盟も、現会長の渡辺氏の努力の賜(たまもの)であり、館林市役所での数回の会合でめでたく設立。本年第二回の大会は本県を会場に、来月十八日から二十二日まで、関東の精鋭が覇を争うことになります。 こうした歴史を振り返ると、県民性と野球との関係を感じます。他県と比べけた違いの組織数、これは前知事をはじめ先輩諸公のご尽力の賜であり、立派に継承する責任を感じ、今後も伝統を守って努力精進の覚悟です。「夢よもう一度」。青春の気分で大いに白球を追って楽しみましょう。 (上毛新聞 2004年9月17日掲載) |