視点 オピニオン21 |
■raijinトップ ■上毛新聞ニュース |
|
|
◎無機質世界に人の思い 一九五九(昭和三十四)年の初夏、高崎高校の周りは水田が一面に広がり、カエルの合唱がセミの声と重なる典型的な日本の田園風景であった。音楽教室では、腫はれ物に触るような手つきでLPレコードを持った先生が、静かにピックアップをレコード盤に落とす。部屋いっぱいに広がった音楽は、ベートーベンの交響曲第六番「田園」。窓の外の田園風景は、まだ見ぬヨーロッパのそれに変わり、音楽に乗せて夢を運ぶ。 初めて聴いた素晴らしいLPの音と、クラシック音楽に感動した瞬間だった。この感動が、私が音の再生、感動の記録再生の世界に入るきっかけとなった。そして、日本のエレクトロニクスを代表する三人の方々との出会いが、私を開発の世界へと引き込んだ。 最初の出会いの高柳健次郎先生は、私が日本ビクターに入社した六三年には既に著名な技術者だった。しかし、先生は常に謙虚で、テレビの発明者であることを忘れさせたほど。子供のころ成績は悪かったけれど、誰もできなかった問題を一週間かけて解いたことなどをよく話され、天才より、思いを定めたらとことんそれに向かい、あきらめないことの重要性を説いた。 後ほど先生のノートの所々に「神よ、我(われ)に力を与えたまえ」と書いてあるのを見て、深い思いと問題解決の苦しみを見る思いがした。三十年後に私が高柳賞を受賞できたのも、仲間の技術者たちと共に思いを定めて努力した成果と思い、先生への感謝の念を新たにした。 音の開発では、オーディオのステレオ方式の発明者である鈴木健さんとの出会いがある。鈴木さんの原音再生にかける執念はすさまじく、終始一貫、良い音を、良い音をと求め続けた。やがて多くの聴衆を前にしたオーケストラによるクラシック曲の演奏中に、ステレオによる同じ曲の再生を行った。ステレオになってもオーケストラは演奏しているふりをして、聴衆に「どこで切り替わったか分からない」と言わせた。 VHSの開発者で、テレビ番組「プロジェクトX」や映画で有名になった高野静雄さんとの出会いでは、事業責任者として赤字に苦しんでいたころの高野さんが印象的だった。若手技術者と共に苦心の末、画期的なVHSビデオの開発に成功、本来ならすぐにでも発売して事業の黒字化を図るところだったが、高野さんはじっと耐えて世界標準「デファクトスタンダード」を狙った。大きな目標の前に、小に走らず思いを達成したところにすごさがあった。 それぞれ違った出会いだったが、期せずして共通していたのが「狙い、思いの大切さ、それを達成するまでのプロの努力」だった。 技術という無機質の世界に人の思いが加わると、夢の実現が飛躍的に進む。高校時代のLPレコードやHi―Fiの出現から今日のCD、DVDへと、夢は次々に実現した。そして、一つの夢の実現は次の夢を生み、夢に終わりはない。 (上毛新聞 2004年9月8日掲載) |