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◎生き方に大きく影響 人それぞれで異なることではあるが、一生のうちに幾人「師」と呼べる人に出会えるであろうか。私事であるが、私事し大きな指針となったすべての人たちを失っている。 実際には私が小学生だったので師事はしなかったが、その画え手本で間接的に指導いただいた南画の新井滋雲師、働く者同士、灯ともしびの下で画を学ぼうと教えを請うた灯画会の深尾広道師、俳画の田村貫水師、図案の一から教えていただいた亀山幸一師、俳句の相葉有流、角川源義、進藤一考の各師。そして邦楽のこと、人生のことを教えてくれた舞踊の初代若柳吉駒師、音楽を超えた哲学まで教えてくれた箏そう曲山田流家元の高田松照師、みんなみんな逝かれてしまった。 悲しいことではあるが、盆のこの月、しみじみと楽しく思い出せるようになった。気が付くと自らが「先生」などと呼ばれる年齢になった。師を亡くすことも自然なことなのかもしれない。 それにしても、良い師に巡り合えることは宝であり、財産である。その教えというものが大げさでなく、その一生まで左右することも珍しくはない。私は画の師から画のみ、句の師から句のみを学んだのではない。 目を病み、両目を塞ふさいでいた相葉有流師を見舞ったことがある。枕元に置かれた本を読んでくれという。かなり難しい本で、早速読めない字に突き当たる。「偏が××で…」と文字の説明をしようとしたとき、「説明しなくてもいいよ。おまえが読めない字は私も読めない」と言う。相手は文学博士であり、大学教授。私はといえば、やっと定時制高校を卒業したにすぎない。その私を同格に扱ってくれる。たった一文字読めなかった私を陰では慰めてくれている。 そして、この一事が私の生き方に大きく影響している。師とは、そういうものなのである。画の師たちも決して絵の具の溶き方を教えてくれただけではない。そして、それらの師を次々と失い、失うたびに別の師との出会いがあり、私はつくづくとありがたいと思うのである。でも、みな遠い。 今は痴ち呆ほうの施設暮らしの母であるが、私にいろいろなことを教えてくれる。別れ際の言葉は必ず「体に気をつけるんだよ」。これが母の一番大切な教えである。 そんな母を気づかってくれる人がいた。五月の手紙に「今入院しています。壁に飾った金太郎さんに毎日励まされています(私の作品である金太郎の手ぬぐいを送った)。同封のものでお母様に何か差し上げてください」と。句師、故角川源義夫人の照子師の手紙である。 俳人としても知られた照子夫人も、私の大切な師であった。暑さ極まる日、照子夫人の突然の訃ふ報ほうに接したのは、この原稿を書いたときなのも不思議なことであった。 炎天の冥くらきものとし蝉せみの穴 士郎 照子夫人へ私のできることは、こんな俳句をひとつ作るだけである。 出会った人たち。逝きし人たち。その教えは決して忘れるものではない。 (上毛新聞 2004年8月31日掲載) |