視点 オピニオン21 |
■raijinトップ ■上毛新聞ニュース |
|
|
◎根付いた伝統を残そう 先月十七、十八日、私の和太鼓の原点でもある「藤岡まつり」がにぎやかに行われました。毎年必ずといっていいほど、雨に見舞われますが、今年は夕立にあうこともなく、無事すべての行事を終えることができました。 小さいころは、よく父に連れられて太鼓の練習に行ったものです。たたき方や手の上げ方などは町内のおじさんたちから教わりました。ここではお互いどこの家のおじさんで、どこの家の子供なのかが自然に分かりあい、世代を超えた地域の交流の場になっていたようです。 藤岡市には十三台の山車があり、町内ごとに太鼓や笛、かねのリズムが違います。これを長老から若い者へ、年上の子供から年下の子供へと、長い間、伝統を受け継いできました。今でも、お祭りの前はいたる所からお囃子(はやし)の音が聞こえてムードを盛り上げ、子供たちに根気よく、でも楽しそうに教える年配者の姿が見られます。どの町内にも必ず祭り好きのおじさんがいるのです。 また、山車を引くのは町内の老若男女が協力しあうときでもありました。エンジンやハンドルがあるわけではなく、すべてが人の力、方向転換もみんなで呼吸を合わせて行います。お祭りが人の輪もつくり上げていくのでした。 私の町内の山車は古く、百年はたっているそうです。現在は山車倉にそのまましまいますが、くぎを一本も使っていないため、昔はすべて分解して納めていた時代もあったそうです。今では考えられない労力です。山車ごとに装飾も違うのですが、細部まで彫刻が施されており、特に欄干は見事です。 また、すべてが木で作られているので、乗っていると独特の揺れがあります。私はそれも好きで、方向転換するときの勢いや、大きく左右に揺れるのも山車の上でしか味わえないので、うれしくてたまりませんでした。今は引き手に変わり、山車を正面から見るようになると、あらためて人間が造り出す物の美しさと、人が乗ってお囃子と一体となったときの山車の輝きに、ただただ見とれるばかりです。 年々、交通量が多くなると交通規制が厳しくなり、近年では一部分で山車が通る反対車線を車が通っていたり、通行止めのエリアの中でも、ただ決められたルートを山車が運行するだけの、少し物足りないお祭りが続いていました。それが今年は全面通行止めとなり、エリア内なら自由に山車を動かせ、他の町内とのたたき合いもできて、昔の活気が戻ったようでした。年にたった二日しか動くことのない山車。精いっぱい生かしてあげたいと思います。 子供のときから夏になると聞こえてきた音。何年か群馬を離れていたとき、私にとって、このお囃子が故郷を思い出す音でした。これは私だけではないはずです。子供のときの楽しい思い出はずっと心に残ります。自分の子供にも同じ思いをさせたくて、遠くにいても、お祭りを見に来る人もいます。大切な行事です。 年末から、各市町村は合併に動き出します。市町村がどのような形態になったとしても、そこの地域に根付いた伝統は消えることなく、残していってほしいと思います。 (上毛新聞 2004年8月12日掲載) |