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◎故郷はまだ面白くなる 今は昔、筆者が高校生のころ、高崎に不思議なおじさんがいた。高崎高校の校庭にバラの苗木を植え、学生に手入れを手伝わせ、花が咲くとその写生をさせ、絵画指導する。フランスにめっぽう詳しく、たくさんの美術品を所有しており、おしげもなく見せ、意匠や図案と称していた時代にデザインといい、その世界に進むことを熱心に勧められた。 小学校五年で上野の森の大人の美術展に絵画が入選し、高校二年でポスターの国際コンクールで銀メダルを受けた少し早熟な子供が、戦後の田舎町では珍しかったからだろうか。お招きを受けて伺った高崎南小学校前の自宅は、ヒノキの磨き丸太を柱にしたアトリエ風の造りで、著名な建築家A・レーモンド(後に高崎の群馬音楽センターを設計)の自邸の図面を借用して再現したものだとかで、当時、興味を持っていた日本の数寄屋建築との違いに少なからずショックを受けた。 伺えば本業は建築会社の社長で、高崎の観光名所になっている白衣観音を建立し、大正末期までに地元の三十五もの企業に関与し、私立幼稚園や社会福祉にも先鞭(せんべん)をつけた井上保三郎氏の長男で、終戦後、地域の学校を巡回演奏していた群馬交響楽団の草創期からの支援者でもあるとのことであった。 そのおじさんの名は井上房一郎(一八九八―一九九〇年)といい、長寿を全うされたので、多くの教示をいただいたが、後日、郷土の文化誌のインタビューにこう答えている。 「父がさまざまな工業を起こし、周辺の者を潤したことと、次の代の僕が文化・芸術の運動を起こしたことについては、方面は違いますけれど共通した流れ、血のようなものがあるといえるかもしれません。…日本に帰ってから(フランスに留学)僕はずいぶんいろんなことをやっているようにみえるけれども、本質は一つなんです。タウトとの工芸運動、敗戦後始めたオーケストラの基礎づくり、哲学堂の設立運動。人間には、その時代によって都合のいい方へと押しかける傾向がどうしてもある。そうすると間違いも起こりやすくなる。見当のつけ方が悪くなる。それを反省するものを自分の中にいつも持っているということが大事なことなんです。それを培うものが優れた絵であり、音楽であり、哲学であるということです」 そのような哲学があって、子供時代の筆者にも目をかけてくださったわけですから、翁亡き後の今は、自分がそれをやらなければならないのですが、翁と比べるといかんせん非力、一人力では到底無理。で、考えたのが、志を同じくする人に呼びかける。すなわち、一人パトロンから共同パトロンへ。考えたら呼びかけて、力を合わせて実現する共同パトロンによる故郷(ふるさと)の文化振興と人づくり。渋川市のシャンソン館による町おこしから、一連のブルーノ・タウト顕彰活動まで、すべて、みんなで育てる市民運動の成果である。故郷はまだまだ面白くなる。活性化する。 (上毛新聞 2004年8月9日掲載) |