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◎できることから行動を 桐生市では、歴史的な町並みや近代産業遺産を生かしたまちづくりが進められています。 桐生という街が歴史上に登場したのは天正十九(一五九一)年といわれ、現在の本町一丁目、二丁目、横山町の町だて(区割り)が最初に行われ、本町六丁目に至るすべてを完了したのが慶長十(一六〇五)年とされています。現在の本町一、二丁目には当時の町だてや敷地利用の跡、幕末から近代に造られた建物が歴史的町並みとして、今も残っています。 桐生新町は、つくられた当初より町を治める領主が不在であったため、町を治めていたのが町衆で、町をつくってきたのも町衆でした。明治以降も染色学校や織物学校、警察署、桐生倶楽部など多くの公共施設が市民有志の寄金により造られ、運営されてきました。 それは、自らの事業の発展と地域の発展は共にあると考えていた市民有志の存在と、町を治めるのは町衆であるという心意気が、市民性として培われてきたためではないでしょうか。 しかし、今わが国では町の将来のことを考える人は少なくなり、まちづくりは行政任せになってしまいました。気がつくと街中では人口が減り、商店街からお客がいなくなり、高齢者のみが住む街が増えて、地域のコミュニティーが失われてしまいました。その結果、小さな子供や弱い人に向けられた虐待や犯罪、孤独死などが増え、世界一安全な国・日本は過去のものとなり、安全で安心して暮らせる街は日本中から消えてしまいました。 私は「本一・本二まちづくりの会」に所属して地域のまちづくり活動に参加しています。これまでの活動では歴史的町並みの保存と、それらを活用した商店街の活性化が進められています。街には年を追うごとに来訪者が増えて、にぎやかになってきました。 それとは別に、住民に暮らしやすいまちとして、安全で安心なまちづくりが求められています。しかし、安心、安全なまちづくりは、建物や道路の整備という手法だけでは難しく、失われたコミュニティーの再生が必要不可欠となります。 コミュニティーは、そこに住む住民によりつくられるもので、行政やまちづくりの専門家ではつくることができません。コミュニティーの再生につながるまちづくりは、地域に愛着を持って住んでいる人や、ここに住みたいと願う人たちが知恵と汗を出し合って、まちづくりを進めるしか実現する道はありません。 これからのまちづくりは、難しい議論や、新たな施設を整備することではなく、先人が残してくれたまちと、その精神を誇りとして、それぞれがまちの将来を思い、まちのために何ができるかを考え、自分にできることから行動を起こすことがまちづくりになると、私たちの先人が教えてくれています。 (上毛新聞 2004年8月4日掲載) |