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◎心配な五輪の在り方 オリンピックの開会式は来月十三日。もう、そこまで世紀の祭典が迫っている。ましてや、オリンピック発祥の地アテネである。ところで、アテネの人々はこの祭典をどのように受け止めているのだろうか。「聖地アテネだけあって、粛々とこの日を迎えるに違いない」。オリンピアでの伝統的儀式である太陽光線により点火された聖火の映像を見ながら、そう感じたのは私だけではあるまい。 そんなロマンチックな感情を抱きながら、アテネにある日本人学校にメールを出す機会があった。本学高校の新任女性教師が、新体操日本代表に選出された友人の応援に出かけたいと、旅行会社が用意するツアーの資料を取り寄せたところ、その金額の高さに目を丸くして私に相談を持ちかけてきたのが、きっかけである。 その相談に、私も「現地で宿をとってもらうほうが安上がりだろうから、現地の状況を聞いてみるよ」と、安請け合いをしたのだが、実は私も内心、興味津々で、アテネ日本人学校の菊池校長にお願いのメールを委ねたのである。しかしながら、現地の実情はそう甘くはなかった。 「こちらの旅行会社に問い合わせてみました。一泊六百―千ユーロという高額な料金となっているとのことでした。ギリシャ人の商売感覚の表れだと思います。何しろ百年に一回の金もうけのチャンスです。オリンピック観戦など気に留めていないと、私の知り合いのギリシャ人も言っていました」。菊池校長からのご丁寧な返信メールである。 確かに一九八八年のソウルオリンピックにおいても、ホテルの料金が急騰したのを覚えている。私は、全日本柔道連盟強化委員会科学研究部の一員としてソウルに赴いたのだが、何と宿泊したのはソウルから西に六十キロほどの仁川。 毎朝五時にホテルからタクシーで出発。ソウル市内の交通渋滞にイライラしながら柔道会場入り。大会が終了し、ホテルへ到着するのは夜の十二時過ぎという超過密なスケジュールを経験したのだが、ソウル市内のホテルに空き室があるとの情報を後から聞いてがっかり。そんな経験をしていたこともあって、現地調達が一番であると判断したのだが、ロマンも夢も、もろくも崩れ去った。 聖地ギリシャのアテネも同じ状況。やはり、商業主義のオリンピック。テレビの放映権だけを見ても狂気のさたであるが、アテネ市民も同じとは、いささか困りものである。東京オリンピックはどうだったのだろう。少なくとも、戦後の復興の大きな足掛かりとなったことに異論を唱える人はいないだろう。さらに、日本国民にとって大きな夢の実現であったことは揺るぎのない事実である。まだ始まらないアテネオリンピックをけなすつもりは毛頭ない。谷亮子さんのけがも心配だが、オリンピックの在り方も大いに心配である。 (上毛新聞 2004年7月30日掲載) |