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◎「感動の経営」再発見を 長い歳月、経済・経営の領域をウオッチングして、さまざまな経営者に出会ってきた。愚かな倒産を招いて、大粒の涙をボロボロ流し謝罪した社長、自宅に電話して「この十年、一度も帰ってこない」という家人の訴えから、変な事情が分かった社長などくだらぬ話がある中で、経営に誠心誠意取り組み、大いなる成果を挙げた一団の素すてき敵な経営者たちがいた。上り坂にある日本経済だが、その進路を確かめるために、経済界は先達の“珠玉の言葉”から学ぶべき事柄が多いのではないか。 松下電器を創業した松下幸之助さんは、郷里の大先輩にあたる。父が相場に失敗し、貧乏暮らしに転落した体験から、貧困を追放する経営哲学に到達した。有名な『水道哲学』である。「産業人の使命は貧乏の克服にある。企業経営の目的は社会に富をもたらすこと」と考え、「すべての物資を水道の水のように安価に無尽蔵に提供していこう」と提案した。一九三二(昭和七)年のこと。松下電器の経営は哲学の実現にあった。日本は豊かになったが、世界を見るとき、その哲学は意義を失ってはいない。 井深大さんは一九四五(昭和二十)年秋、疎開先の会社と別れ、焦土の東京に戻る。翌年、ソニーの前身「東京通信工業」を創立した。設立趣意書に「真ま面じ目めナル技術者ノ技能ヲ最高度ニ発揮セシムベキ自由闊かっ達たつニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」をうたい、「不当ナル儲もうケ主義ノ廃止」を宣言、「技術上ノ困難ハムシロコレヲ歓迎」すると高度な製品開発に挑戦意欲を示した。そして、音響機器の世界トップ企業に飛躍し、「ブランド世界一」への道筋をつけた。 危機にあえぐ名門アサヒビールに銀行から再建社長として入った樋口広太郎さんは、消費者ニーズに教わる謙虚な経営を通じて再浮上を実現した。モットーは「グッドカンパニーを」だった。オペラをはじめ文化支援に努め、身障者雇用に意欲的だった。“美しい経営”は業界トップに躍進する鍵となった。 「いくら働いても疲れない会社にしたい」は、新井正明さん(吾妻町出身)の信条であった。会社、契約者、従業員の三者総繁栄をめざす誠実な経営が、戦後の住友生命の躍進劇を支えてきた。 新井さんは一九三九(昭和十四)年のノモンハン事件に従軍した兵士。砲弾が爆発して右足は粉砕骨折。ガスえそを併発して、ももの付け根から切断された。義足のサラリーマンは苦労したが、頑張り抜いて社長に。「現在ただいまの状態で最善をつくし、自分の人生を切り開いていこう、と考えた。社会が悪いとか、だれそれが悪いなんて他に責任を押しつけても、人生に幸福がもたらされるわけじゃないからね」。新井さんはしみじみと語った。 磨き抜かれた高潔な人格と、そこからほとばしる言葉には感動がある。素晴らしい先達の魂を探索する旅に出発しませんか。二十一世紀を明るくともしてくれる光を見つけ出すために。 (上毛新聞 2004年7月27日掲載) |