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◎違いは「もう」と「まだ」 仮に二十年という歳月が過ぎたとする。私はいろいろな人に、この二十年を“もう二十年”ですか、それとも“まだ二十年”ですか、と問うことがある。 私は時として思うことに芸術家と職人との違いがある。今は何と芸術家が世の中にあふれているかとも思う。 ちょっとのぞいた陶芸展の会場にあふれんばかりの作品にすべて価格が付いている。驚いたことには特価なる値礼の付いたものさえある。作者とおぼしき人に「どのくらい陶芸をなさっていますか」と聞くと、「はい、もう五年です」と言う。さもありなんと、一枚のパンフレットをいただいて会場を出た。そのパンフレットには○○展入選、○○賞受賞、そして、その人の主宰する教室の案内までが記されていた。もう五年も陶芸の道にいそしみ、○○展に入選までした立派な芸術家の展覧会なのである。 私が中学を卒業したころは、まだ集団就職という言葉の残る時代で、地元桐生に就職するには「紋切屋か星屋(図案屋)」といわれた。定時制高校に通いながら図案の修業が始まる。奉公という言葉はすでに過去のものになっていたが、それに近いものはあったような気がする。年季こそないが、職人として認められるには二十年は要したように思う。 ある家に額装の染画が飾られていた。どう見ても私の目には不上がりの作品にしか見えないその染画は、さる高名な女流作家の作品であった。不上がりと見た第一は“泣き”である白地と色地の境がはっきりとせず、にじんだ状態になっている。もし私が作れば、すぐ返品となる物である。しばらく眺めていて、私ははたと気付いた。これは芸術家の作品であり、“泣き”も作品の一部なのだと。こんな例えで、芸術家と職人の違いのようなものが、少しでも分かっていただけたであろうか。 陶芸家の例も染色家の例も、芸術家ならばもう○○年が通用するのである。これは決して悪口でも何でもなく、一作をもって世の中に芸術は通用するのである。 これも例にすぎないが、かつて公募展としては県内唯一だった上毛美術展に一人前の先生方が落選し、弱冠十五歳の中学生が入選するということも実際にあったのである。 職人の世界には、これがない。ある老職人のいる職場に染色の学校を出た若者が入ってきた。見本の色糸を見ると、老職人はいぶかる若者を尻目にスコップで染料を釜の中に投げ入れた。若者はじっくりと水に対する染料のグラムを計算し、はかりで量って糸を染め上げた。目見当で染料を投げ入れた老職人も、はかりで染料を量った若者の糸も、見本と全く同じに染め上がったのである。それだから、職人は芸術家にはなれないのである。この違いが分かっていただけるであろうか。 もう○○年、まだ○○年の違い。歳月ばかりを重ねることが偉いわけではないが、私とてまだ四十三年間修業したにすぎないのである。 (上毛新聞 2004年7月16日掲載) |